病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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モルヒネと不安
 4月5日、この日は忙しい1日でした。
10時にガンセンターに行き、主治医に本人の希望もあり最期はホスピスで迎えたいと告げました。
「ところで先生、夏まで持つでしょうか」
「夏? 春が越せるかどうかです。あと1、2カ月、あるいはそれより短いこともある」

 この段階でも私はうまくいけば夏を越せるのではないかと思っていただけに、主治医から「春」という言葉を聞いた時はビックリしました。
でも、それはないだろうと、まだ、どこか楽観的に考えている自分がいました。
 その後、12時半にホスピスの栄光病院に行き、先生と面談。明日午前中の入院に備えていままでの経過を聞かれました。

 夕方、帰宅し、妻の様子を聞くと「今日は全然ご飯を食べようとしないし、あれだけ厳重に飲んでいた薬も飲まない」と母が心配そうに言う。
 ここ数日、食事をさせるのが一苦労でした。
以前は雑炊やうどんを作って食べさせていたのですが、それも1杯が半分、3分の1、一口二口と減っていき、それも1日なんとか2回食べていたのが、この頃は1日1食口にするのがやっとという状態でした。
味付けが違うのか、母ではなく私が作れば少し口にするという感じです。

 しかし、この日は朝から食べたくないと言って何も口にしていません。
お腹はグーと鳴いているのに、「要らない」と言います。
それでもなんとか卵を溶いて、スプーンで口に1口流し込んでやりました。
食べる力がないのです。それがやっとでした。

「薬は飲まなくていいのか」
「うん」
「どうして? もう飲む時間ではないか」
「痛くないから」

 薬とはモルヒネのことです。経口薬としてMSコンチンを、それに座薬を併用していました。
もはやMSコンチンだけでは痛みを抑えられなくなっていたからです。
 当初、妻はモルヒネの量が増えるのを嫌って、少し調子がよければ服用する時間を伸ばすなど自分で多少調整していました。
特に今年1月に気功を当ててもらうようになってから、気功の先生の「できればモルヒネの服用は止めて下さい。治りが遅くなりますから」という言葉もあり、できるだけモルヒネの服用を我慢するようになりました。
でも、その結果、ベッドから起き上がれなくなり、鈍痛のような痛みに悩まされ続けました。

 私も、我慢できるのならモルヒネの量は減らした方がいいだろうという考えには賛成でした。
しかし、飲まないことで痛みが増し、苦しむのなら、飲んだ方がいい、痛みさえ緩和されれば日常生活ができるのだからと、無理に我慢せずモルヒネを飲むよう勧めました。
それと同時に、いかに最近モルヒネが進歩し、緩和医療に貢献しているかという新聞記事も見せました。
客観的資料を見せることにより、薬に対する不安感を取り去ろうとしたのです。

 ガン患者にとって痛みの緩和が最大の治療だと思います。
痛みさえなければかなりの部分、日常生活が送れるからです。
私は妻が膵臓ガンと分かった時、最初にしたことはインターネットで治療法を調べたことです。

調べれば調べるほど、結果は希望を無惨に打ち砕くものでした。
膵臓以外は治ったという報告例が数多くあるのに、膵臓だけなかったのです。
AHCC首都圏普及会にもメールで問い合わせましたが、結果は「残念ながら」というものでした。生存期間が短いので症例が取りにくいからで、効かないということではないというのがせめてもの慰めの言葉でした。
昨年1年間は本当に仕事どころではありませんでした。
もしかすると本人以上に私の方がうろたえ、落ち込んでいたかも分かりません。

 モルヒネの中でもMSコンチンは常習性などの副作用が比較的少ない、いい薬であり、なにはともあれ痛みを緩和しよう。痛い、痛いと言っていては治る病気も治らないからと言い聞かせ、本人も「この痛みさえなければ、どんなに楽か」と、モルヒネをきちんと飲むようになっていました。

 それなのに、この日は「痛くないから」と言って、全く薬を服用してないのです。
これは明らかに異常で、もはや痛みを感じなくなっていると思いました。
言葉もチンプンカンプンで「惚けている」のではないかと思った程です。

 いつもは妻がベッドに、腰痛でベッドが苦手な私は、ベッドの横に布団を敷いて寝ていたのですが、その夜は不安が先立ち、ベッドで妻の体をさすりながら起きていました。
12時頃(いつもなら痛み止めの薬を飲む時間)に薬を飲ませようと考えていたからです。
それと水分の補給です。食事はしなくても水分だけは補給しなければ脱水症状になるからです。

 3時頃、寝返りを打ったので「水を飲むか」と聞くと「飲みたい」とはっきりした口調で答えました。
そこで栄養補給も考えてパイロゲンを1杯飲ませました。
喉が渇いていたのでしょう、「もっと飲みたい」と催促したのでもう一杯水を飲ませ、コップを戻しに行った時でした。

「うーん、うーん」と言葉にならない声で呼ぶのを聞き、慌てて戻ると、口に手を当てティッシュを取ろうとしていました。
私が差し出すのも間に合わず、嘔吐しました。
それはまるでコカコーラのようでした。
 以前、妻が「コカコーラのようなものを戻した」と言ったことがありましたが、それがどす黒い血だったということを、私は不覚にもこの時初めて気が付きました。

 その後、トイレに行きたいと言うので(実は言葉がはっきりせず、トイレに行きたいと言っていると分かるまでに何度も聞き直さなければなりませんでした)、抱えるようにして連れていきました。
そう、今思い起こせば、それはまるで酔っぱらいの介抱と同じでした。

 吐血直後から激しい痛みを訴え、呂律の回らない口でモルヒネを要求しました。
MSコンチンを飲ませましたが(実は後で分かったことですが、動転した私が飲ませたのは胃薬でした)、座薬もと言うので、座薬を入れた直後です。今度は下血です。
 吐血・下血で少し楽になったのか、それとも意識が薄れたのか、その後、今度は静かに眠りに就いてくれました。

 翌朝、車で病院に連れていく予定でしたが、これは一刻も早く入院させなければと、8時になるのを待ちかねるようにして病院に連絡を入れ、救急車で入院させました。

 私にとって残念なのは妻がこの夜のことを覚えていないことです。
入院2日目に本人の記憶を確かめましたが、一切覚えていないのです。
救急車が来るまでに体を拭き、着替えさせてやったことも、まったく記憶にありませんでした。
私は愛されてなかったのではないか・・・。
いまでもこの時のことが心に引っかかっています。

 激しい貧血症状を起こしており、輸血を3パックしました。ちょっとした大手術並みの輸血量で、「よくこの状態で自宅に居れましたね」と先生から言われました。
通常、一度にこれだけの血液が失われていると意識がなくなっているそうです。
吐血も鮮血でなかったように、徐々に出血し、それが溜まったのを吐下血したようです。逆に言えば、だから助かったのでした。
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by kurino30 | 2004-11-29 07:59 | Trackback | Comments(0)
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