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「九州の技術」や「九州の頑張る企業」「栗野的視点」などを収録 ジャーナリスト栗野の辛口コラム~栗野的視点 ジャーナリスト、経営コンサルタント、コーディネーターとして活動しながら、中小企業の経営に関する講演も数多くこなす栗野が独自の視点で経済や経営、社会問題を論評 栗野的風景 写真と文で綴るフォトエッセイ。主に花の写真が多い。 最新のトラックバック
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ガンの告知について(2)
2004年 12月 02日
本人にガンと告知しないと決めましたが、そのことでいくつかの困ったことがおきました。
1つは妻が病院の治療に疑問を持ち始めたことです。 3月5日に福大病院に入院し、5月19日に退院しましたが、退院といっても普通に言う病気が完治しての退院ではなく、抗ガン剤(とは本人に知らせていません)と放射線治療の1クールを終えた、つまり一応治療をしてみたが、効果も現れず、かといって転移もせず、現状維持なので、あとは通院治療に変えましょうという退院です。 それでも本人にしてみれば、どんな形であれ退院というのは希望があるわけで、やはりどこか明るい気持ちになります。 以後、1週間に一度通院するのですが、通院しても月に一度血液検査をするだけで、あとは薬をもらうだけです。 それも散々待たされて。 薬をもらうだけといっても、そこはそれ、一応主治医が問診をしてから薬ということになるので、診察の順番待ちをしなければなりません。 それも9時に行っても12時近くにならないと診断してもらえません。 4時間も待ち時間があると健康な人間でも疲れます。ましてや病人です。待ち時間が病気を悪化させるようなもので、病人を再生産するためにやっているのではないかと疑いたくなりました。 この辺りが大学病院のおかしな所ですし、今の医療の問題と絡めてこのことは後程詳しく触れてみたいと思っています。 いずれにしろ本人が薬しかくれないのならもっと効率を考えて欲しいと考え出したことに加え、もらっている薬の中身が痛み止め中心だということに疑問を持ち始めました。 幸か不幸か同じマンションに九大病院に勤務されている人がいて、そこの奥さんと話をしている時に本人がそのような疑問を口にすると、それはおかしいですね、九大にいい先生がいらっしゃるから聞いてあげましょうか、というような話になるわけです。 そしてそのことを妻が私に言います。 「痛み止めの薬だけで、病気を治すための積極的な治療をしてないのはおかしいと思わない。そんな治療しかしないのなら九大病院を紹介してあげると言ってくれてるのだけど」 と。 これには正直参りました。 いまさら手術も出来ない、できることは痛みを和らげることぐらいだ、とはいくらなんでも言えません。 「痛み止めの薬だけではないだろう。何種類ももらっているし、いまは入院中の治療の効果がどのように出てくるか、その様子を見ながら治療してくれてると思うよ。入院中はよくしてもらったでしょう。ドクターを信じなきゃ」 と、分かったような分からないような説明をして、なんとなく本人の疑問をうやむやにしました。 でも、ただうやむやにしただけですから、同じ疑問が本人の中で何度も頭を持ち上げてきます。 それを問い質されるのが辛かった。 一度など怒ったことさえあります。 「ぼくが何か隠しているわけではない。先生から全部聞いているし、そのことはお前にも全部話しているよ。状況を見ながら治療しているのだから、病気に打ち勝つには体力も付けないとダメだと思う。そして次の段階を行うのだから。病は気からと言う言葉があるけど、”気”というのは”気持ち”ということもあるけど、”気”のエネルギーということで、マイナス思考をしていると”気”が弱ってくる。病気は”治る”のではなく”治す”んだと思うよ」 今考えると、私は随分妻に厳しいことを言ってきたと思い、反省をしています。 ともあれ、告知しない、と決めた私がとうとう告知することになりました。 また後程触れますが、いろんなことがあり、12月に九州ガンセンターに再入院することになりました。 先生にいままでの経過を話し、最後に「実は本人にはガンだと告げていないのです」 と話すと「でも、ここはガンセンターですから、入院すればご本人もガンだと気付かれるでしょう。なにより大事なのは本人も自分の病気のことを分かって、我々と一緒に闘っていくことです。その方が我々も治療を進めやすいし」 と言われました。 その通りです。ガンセンターに入院するのだから、ガン以外の病気で入院すると考えるのはおかしな話でしょう。 それでもガンセンターに入院しようと考えたのは、ガンセンターという病院を選んだからではなく、患者(この場合は我々ですが)との信頼関係を築けるドクターを探して、たまたまそのドクターがガンセンターの先生だったというだけです。 ですから入院する予定だったわけではなく、そのドクターが入院治療を勧めたから入院したわけです。 実は私達は非常に慎重にドクターを選びました。 これは医療とは何かということに繋がってくるのですが、そのことは後に触れるとして、簡単にそこに至るまでの経過を説明すると、人の紹介である先生に会いました。 その方はすでに現役を離れていらっしゃいましたが、妻と2人でその先生に会い、話をして、非常に信頼できる先生だと私達は感じ、その先生が紹介してくださる先生だから、同じように信頼できそうだと思ったのです。 そうは言ってもドクター仲間の評判はよくても、患者との関係は違うということは往々にしてあります。 むしろそうした例の方が多いかもしれません。 だから一度お会いになって決められませんか、とその先生が勧めてくださったのです。 「この先生ならよさそう」。ガンセンターで私達が会った直後、妻は晴れ晴れとした顔でそう言いました。 いずれにしろ、主治医から告知した方がいいのではと言われ、私は即答を避け、少し考えさせて欲しい、と答えました。 それから数日、迷いました。 これが膵臓や肝臓でなければ、もっと以前に告げていたでしょう。 それはいろんなものを調べた結果、かなりの部分治るという確信のようなものを抱いていたからです。 でも、調べれば調べる程、膵臓はわずかの希望さえ打ち砕いていきました。 春以降、私は仕事もほとんど手に着かない状態でした。 またしてはインターネットで調べる、そんな時間を過ごしていました。 結局、病名を告知することになりましたが、それは正直に打ち明ければ、私自身が自分に負けたのでした。 自分がガンだと分かり苦しむ妻のことより、結局、私が秘密を守り通す苦痛から逃れたかったからです。 許して欲しい。 いまはひたすら妻に許しを請うています。
by kurino30
| 2004-12-02 16:05
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