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病気と医療について考える~栗野的通信
kurino.exblog.jp

ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。

by kurino30
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納骨はしない。
今月に入ってから取材、原稿書きとちょっと仕事に追われていました。
大体、遅筆で仕事が遅いのが私の欠点なのです。
その上、いつも原稿を書いているので、仕事以外ではあまり書きたくないというか、別のことをしたいのです。でないと四六時中仕事の延長みたいなことになり、気分転換もできない。トホホ・・・。

 この際、ついでに愚痴めいたことを言ってしまえば、妻が旅立ち、独り残されてから、何が変わったといって、時間がなくなったことです。
雑用が結構多くて、優雅な独身生活を謳歌などとはほど遠い生活を送っています。
まず飲みに出歩くことがなくなりました。
飲むのはもっぱら自宅でですから、至って品行方正(^^;です。

 まあ、もともとお釈迦さんの掌で遊んでいた孫悟空みたいなものですから、掌がなくなったとたんにどうしていいか分からなくなって、大人しくなったというわけです。
多かれ少なかれ世の亭主族はこんなものではないかと思いますが・・・。
亭主関白と威張っている人程、実はお釈迦さんの掌で遊ばされている孫悟空で、賢いのは裏で操縦している奥さんでしょう。

 さて、遅れていた最後の原稿をやっと仕上げ、3時から帰省しました。
病気が治ったら「江見でゆっくりしたい」と妻が言っていたので、連れて帰ることにしました。

 我が家は神道ですから本当はお盆は関係ありません。仏式で言うお盆に代わるものはむしろお彼岸なのですが、世間様にはそんな区別は分かりませんし、恐らく盆の時に初盆だからとお参りに来られる人もいるのではと思い、お盆休みは帰省せずこちらにいることにしました。
それでお盆の前か後、どちらかに一度連れて帰らなければと考えていたわけです。
というのは、まだ納骨をしていません。

 五十日祭(仏式で言う四十九日)は5月30日に済ませました。
普通はその直後に納骨となるようですが、私はまだそのままにしています。
というより、納骨をするつもりが当初からなかったのです。

 これにはいくつかの理由があります。
1つは、納骨をしてしまうと本当に私の元を離れてしまう気がするからです。
もう1つは、先祖の墓は岡山県にあります。
そこには6年前から父も眠っているのですが、岡山県といっても鳥取県と兵庫県の県境に近いところで津山市という町です。

 実は今回車で帰りましたが、往きが6時間半、帰りは少しのんびり走ったということもありますが、8時間かかりました。
九州自動車道から中国自動車に入り、あとはひたすら走るだけですが、中国自動車道は山陽と山陰を分けている中国山脈の尾根の部分で大阪まで延びています。
列車で行っても岡山で新幹線から乗り換え、乗り換えで行きますから、やはり5時間近くかかります。

 このように離れている上に、墓が実家の側にはなく、これまた少し離れた、親戚の家がある場所にあるので、福岡からはもちろん実家からもそうそう頻繁にお参りすることができず、妻に寂しい思いをさせそうだからです。

 3つ目の理由。これが最も大きな理由ですが、妻が罹病した年の1月何日かに、どういういきさつでそういう話になったのかは忘れましたが、「私が亡くなったら散骨にして欲しい。先祖の墓には入れないで欲しい。死んだ後の骨まで汚染されたくない」というようなことを言った後、妻に「お前はどうして欲しい」と聞いたのです。

「あなたと同じとこに入るよ」
「いや、そうじゃなく、仮にぼくより先に逝った場合だよ」
「あなたが持っていて」
「その後は?」
「あなたも亡くなった後はもうどうでもいいわ。亡くなった後のことまでは自分では分からないんだから。もうその時はどうでもいいじゃない」

 私が先祖の墓に入りたくない、と言ったのは、墓地の上に産廃の処分場ができたからです。
親父が亡くなる前からできていたのですが、親父は先祖代々の墓とはいえ、本当にそこに入りたかったのだろうかと今でも疑問に思っています。
 こんなことなら生前にもう少し墓のことや葬儀のことを話し合っておけばよかったと思いました。

 親父の場合は母の意向もあるので仕方ありませんが、妻の希望は私の側に居たい、ということだと思いましたし、私も少なくとも50日や100日(実は今日がその日です)で、妻を手元から離すつもりはありませんでした。

 そういうわけですから、ずっと手元に置き、毎朝「行ってきます」「帰りました」と声を掛け、今日1日あったいろんなことを妻に話して聞かせています。
ついでに言うと、私は手も合わせませんし、お祓いの言葉もあげません。

 妻は自分の両親が早く亡くなっていたからか、私の両親を非常に慕ってくれましたし、両親もまるで実の娘のように可愛がってくれました。
そのせいか母と妻は顔までも似てき、よく親子に間違われた程です。
私の田舎に帰っている時でさえ、そう間違われるのですから、私はまるで婿養子みたいなものです。
両親も酷いもので、もし私と離婚した時は家に帰ってきなさい、と本人に言っているのですから、本当にそうなったら私の方が追い出されることになったでしょう。

 「江見に帰りたいな」
栄光病院に救急車で入院し、目覚めた時に妻が母にそう訴えました。
その希望を叶えるために2泊3日の帰省旅をしてきました。
妻を助手席に乗せて。
そして再び一緒に福岡に帰ってきました。

 帰省の成果は分骨を決めたことでした。
妻が好きだった江見(実家がある場所)でゆっくりさせたい。
しかし、私の手元を離したくはない。
この2つを満足させる方法は分骨でした。

 分骨といっても実家で祭ってもらうだけで、納骨をするわけではありません。
私が側に置いているのと同じ方法で、母に祭ってもらうのです。
 父が亡くなった時、私は分骨をしてくれと頼みましたが、この時は家族・親戚から許されませんでした。分骨なんかするもんでない、と。精神(たましい)がどちらに行こうかと迷い、いつまでも成仏できない、というのが理由です。

 今回は叔父が「容子さんは江見が好きだったんだし、お前も手元から離さないんだろうし、それならお墓に入れなくていいから、分骨をして両方で祭ってやるのが一番いい方法じゃろう」と、私が何も言わないのに言ってくれたからでした。

 本当は密かに庭にお骨の一部を埋めて帰りたい、と思っていたぐらいですから、私に異論のあろうはずがありません。
母も賛成してくれました。
 でも、結局、今回はそのまま一緒に帰ってきました。
移し替える骨壺がなかったからです。
by kurino30 | 2004-12-06 22:23