病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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それぞれの想い(1)
 私がいまブログに載せている内容は基本的には2年前に「栗野的通信」と題して配信したものをベースにしています。
非常に個人的な内容のものを配信することに、当初、私自身、迷いがありました。
でも、それを敢えて配信したのは、妻の病気のことをなぜか会社が社員に知らせずにいたため、なにも知らずにいた同僚達が非常に多かったためです。

 いよいよ残り数日になった時に、堪らず妻の仲がよかった同僚数人に私が知らせると、それから多くの人達が今度は病室に押しかけてきました。
その時私は正直、同じ来てくれるなら、せめて妻が話ができる時に来て欲しかったと思いました。
でも、彼らは妻が病気で入院していることすら知らされてなかったのです。

 多くの人が最期の時に「何も知らなかった。知っていたらもっと早く見舞いに来ていたのに」とか「どうして知らせてくれなかったの」と言いました。
だから、彼、彼女たちに状況を知ってもらうためにも書かなければいけないと思い書き始めました。

 だが、配信を始めると「女々しい」「そんなメルマガを配信するのは止めろ」というお叱りのメールも来ました。
その一方で同じような経験をされたからの共感も寄せられました。
私自身、途中で何度も止めようかと思いました。

 でも、同じ思いをされている方がいるのではないか。
そういう人達にとって情報や思いを共有することが、ある種の支えになるのではないか、私自身そうだったから、そう思って書き綴ってきました。
その結果、多くの人が私と同じような経験をされたことも知りました。
なかには身内の病気がきっかけでホスピス病院まで作られた人もいます。

 ありがたいことに、私の私的な体験にメッセージをお寄せていただいた方が何人もいます。
私よりはるかに悲しみが深い方、いま現在病気と闘っておられる方、そういう人を身内に抱えておられる方・・・。
そういうメールに私自身どれほど慰められたことでしょう。
 それぞれにそれぞれの想いがあります。
いただいたメールの中からいくつかを紹介していきたいと思います。


 私もかって両親を癌で失っています。
昔の事ゆえペインコントロ-ルも十分ではなく、随分両親の苦しむ姿が
未だに脳裏に鮮明にやきついております。
父が薄れいく意識の中で最後に残した言葉は「泣かんでいい、また逢える」。
私は宗教は持ちませんがこの言葉には本当にすくわれました。
ちなみに父も膵臓癌でした。


 私の母は8年前にガンで他界いたしました。
膵臓ガンの手術をしてから約1年半後、
亡くなる4ヶ月ほど前に病院へ再入院いたしました。
この時いよいよ死期が迫ってきたなあという感じを受けました。

 手術後退院してからというもの元気で過ごしており、ガンは完全に消えたのかなと思うほどでした。
しかし、やはり、お医者様の言われたとおりの期間しか生きられませんでした。
私は男3人兄弟の3男です。兄弟は実家に近いために入院した母の見舞いはできるだけ行くようにしました。

病室に泊まり、母が眠る隣の空きベッドで私は眠り、朝起きれば仕事に向かう日が何日もありました。親父、他の兄弟もそれぞれ同じようなことをしました。
 息を引き取った時は、私が泊まりの日でした。
寝息が聞こえていました。
しかし、何の前触れもなく息が聞こえなくなりました。
一瞬何が起こったのか不思議でした。
現実が目の前にありました。
母の臨終だということがわかりました。
まだ悲しみは全然湧きませんでした。
悲しみは母を家に連れて帰り、布団に寝かせ通夜、葬儀の準備が終わる頃にやってきました。
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by kurino30 | 2005-01-15 00:35 | Trackback | Comments(1)
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Commented by sumi at 2005-01-16 23:48 x
 一年前突然の末期癌を宣告され、たった一ヶ月半の闘病生活
で旅立った弟の一周忌法要がありました。
学生時代の友人、会社の仲間など大勢の人がお参りに来てくれ
ました。
 驚いたのは、会社にはまだ彼の席がそのまま残されているとい
う事。未だに「責任者」というプレートも残し、誰も座らない机がそ
のままになっていると。