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「九州の技術」や「九州の頑張る企業」「栗野的視点」などを収録 ジャーナリスト栗野の辛口コラム~栗野的視点 ジャーナリスト、経営コンサルタント、コーディネーターとして活動しながら、中小企業の経営に関する講演も数多くこなす栗野が独自の視点で経済や経営、社会問題を論評 栗野的風景 写真と文で綴るフォトエッセイ。主に花の写真が多い。 最新のトラックバック
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もしも空が飛べたら。
2005年 01月 27日
もしも空が飛べたら・・・。
幾度そう思ったかもしれません。 いつもいつも私は夕方、車を飛ばして病院へ急いでいました。 最初の頃は福岡大学病院へ、それから九州ガンセンターに。 急いでくれ、道を空けてくれ、と心の中で叫びながら、1分でも早く病院に着けるように急いでいました。 そんなに急がなくても、早く仕事場を出れば済むことなのですが、いつもギリギリに出ては急いでいました。 福大病院の頃は春の気候がいい時分でしたが、ガンセンターの頃は雪がちらつく寒い季節になっていました。 日は早く暮れ、寒々しい風景の中をひたすら車を走らせたものです。 もし、空を飛べる車があれば、渋滞にも巻き込まれずスイスイと行けるのにと思いながら。 よく事故を起こさなかったものです。 病室に行ってもそんなに長い時間いるわけでもありません。 共同部屋ということもありますが、昔から見舞いは苦手でした。 それでも1日1回は顔を出すようにしていました。 時にはベッドで一緒に夕食を摂ったり、妻のベッドに寝ころんでTVを見たり。 たまに1日2回顔を出すと非常にうれしそうな顔をしてくれました。 逆に顔を出せなかった日の翌日は、何もなかった風を装いながらも、「昨日は忙しかったんだろう」とそれとなく聞いてきます。 そんな時は寂しい思いをさせたと反省しきりです。 時々そっと妻が言いました。 ○○さんは一度も旦那さんが見舞いに来ないのよ。 日曜日ぐらい来てあげればいいのに。 娘さんは時々来ているけど。 ご主人が来ないのは単身赴任か何かかも分からず、 別に仲が悪いわけではないのかもしれません。 でも、妻のその言葉に、やはり毎日見舞いに来て欲しいのだなと感じました。 いま思えば、仕事を休んででも、もっと側にいてやるべきでした。 「仕事をしないといけないから」 そう言って、私は仕事に逃げていました。 「ちゃんと仕事をしてね」 妻は私を気遣ってくれました。 なんとか年は越せそう。 でも、次の年は・・・。 これが最後の正月、とは思いたくない。 しかし、現実を直視すれば・・・。 病室を出て、真っ暗な冬の夜の中に立つ時、とてつもなくやりきれない気持ちに襲われます。 この世に神も仏もないのか・・・。
by kurino30
| 2005-01-27 18:26
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