病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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悲しみの数だけ人はやさしくなれる。
 「お義兄さん、何がきっかけだったんですか」
1昨年の夏、すい臓がんの手術をした弟を病室に見舞った後、弟嫁からそう尋ねられた。
「私達の前では涙なんか見せたことがないのに、お義兄さんの姿を見た瞬間泣いていたでしょ。それだけお義兄さんを信頼しているんですね」

 実は兄弟仲は長いこと悪かった。弟から家に電話がかかってきても私が出ることはなく、妻を介しての三角会話をするほどだった。何が原因で兄弟仲が悪くなったのかいまとなっては思い出せないが、事あるごとに私に突っかかるような言い方(と当時は感じていた)を弟がしてくるのが癇に障わっていたのは事実だ。
「たった二人しかいない兄弟なんだから、もう少し仲良くしたら」と、なんども妻に言われていた。
 その頃は「血の繋がり」という言葉が疎ましくもあった。血の繋がりという生物学的な関係より、環境や思想を共有する関係の方に近さを覚えていた。私は自分の自我やアイデンティティーの確立は学生の頃だと思っていたから、それまでは単に人生のある時期を一緒に過ごしたというだけの関係に過ぎない。弟といえどもその点では同じだった。
 ところが妻の死をきっかけに二人の関係が一変した。それまでの不仲から一転して、互いを思いやる仲の良い兄弟へと変わったのだ。妻の置き土産かとも思うが、同じことなら妻の生前にこの姿を見せてやりたかったといまごろ後悔している。

 何がきっかけ、と聞かれても困るが、大体、不仲の原因なんてちょっとした行き違いや、思い違い、誤解から生じていることが多い。要はコミュニケーション不足だ。
 国と国との関係、親子でも同じことだろう。零細企業は家族経営がほとんどだろうが、家族経営であるが故の難しさもある。親子の関係が一度こじれると他人より修復が利かなくなる。聞けば大抵親子間で会話がないと言う。日常会話ならまだいいが、そこにとどまらず社長と社員としての仕事上の会話もほとんどないと言うから、よく会社が回っていると感心する。
 しかし、よく聞いてみると互いが互いの判断でやっており、組織としてやっているわけではないようだ。中小零細企業の弱さは案外この辺りにあるのかもしれない。
 もし親子間コミュニケーションがないと思われている企業は一度、血縁を離れて、相手を他人、社長、社員として見てみればどうだろう。他人に仕事をしてもらう場合、目的、仕事の流れなどの報告、連絡、相談をしないことには仕事がうまく捗らないことに気付くのではないか。なあなあで済ませてきたことを言葉に出して言うことが必要だと。

 「兄貴は義姉さんがいないと何もできないだろう」。弟が私によく言っていた。当時はこうした言葉さえ、どこか私に突っかかってきているようで疎ましく感じていたが、妻が他界した後しばらくして電話があり、「兄貴、食事はちゃんと摂っているか。不自由しているんではないか」と言われた時、不思議と素直な気持ちで聞くことが出来た。
 多少哀れみの気持ちもあったのだろうと思うし、こちらも気弱になっていたこともあり、弟の言葉にそれまでとは違うやさしさを感じた。早い話が互いに一歩か半歩ずつ引いた瞬間、相手の言葉がストンと腑に落ちたのだ。
 まさに氷解という感じだった。それまでのわだかまりが一気になくなり、互いが互いの言葉を素直に聞けるようになると、長年の不仲を取り戻すように相手を思い遣り、かける言葉がやさしくなっていった。私が帰省すると弟も神戸から帰って来るし、二人で旅行に行ったりと母が嫉妬するぐらい仲良くなった。

 「悲しみの数だけ人はやさしくなれる」。そんな言葉をどこかで見たような気がする。歳のせいもあるかもしれない。それまではなんでも出来ると思っていた自分が、そうではなかったと気付いた時、人の弱さを受け入れることが出来るようになり、同時に自分の弱さも受け入れた。
 「我慢しなくていい。泣いていいんだ。思い切り泣けばいいんだよ。泣けば少しは楽になる」
 昨秋、「医師から春がヤマと告げられた」と涙声で言ってきた時、私は弟にそう声を掛けた。
「お前が男として、父として頑張ってきたことは家族の皆も分かっている。だから我慢せず泣いていいんだ」と。

 この数年、年明けに弟も帰省し、一緒に過ごすのを恒例にしてきたが、今年はしんどいから帰れないと言ってきた。そして1月中旬。食事がほとんどできないと言う。
「できるだけ自宅で過ごしたいんや。今度、入院すると・・・」
 その次の言葉は発しなかったが言わんとすることは分かった。それでも私は再入院を強く勧めた。
 いままでは一切ああしろ、こうした方がいいとは言わなかった。
経験者が陥りやすいのは自分の体験を相手に押し付けようとする嫌いがあることだ。粒子線治療で治った人はそれが絶対のように言うが、治療法には相性のようなものもある。だから、この治療法がいいとも言わなかった。ただ、こういう治療法もあるぞ、という情報を伝えるだけにした。
 抗がん剤治療を拒否した時もなにも言わなかった。というか常に弟が選んだ方法を追認するようにしてきた。だが、今回だけは「お願いだから入院してくれ」と頼んだ。医師の監督下に置かれた方が衰弱しないと思ったからだ。

 入院したと聞き、できるだけ早く見舞いに行くと返事すると「慌てて来なくてもいいよ。元気なんだから。まだ寒いから暖かくなってからゆっくり来ればいいよ。来て欲しくなったら、早く来てくれと連絡するから」と言っていたが、その1週間後、「兄貴、早く来てくれ」と言って電話が切れた。
 弟はその後ホスピスに転院した。再入院した時から緩和ケアしか行ってない。
人は悲しみの数だけやさしくなれる、という。
でも、私はもうこれ以上やさしくならなくていい。
もう同じ悲しみを味わいたくはない。
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by kurino30 | 2014-05-09 10:35 | Trackback | Comments(0)
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