病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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認知症は生きる知恵かも
 認知症も悪いことではない。むしろ生きる知恵ではないのか--。
数年前、帰省して医師と面談し母の状態について説明を受けていた時、ふと、そう感じた。
 医学的見地からすれば認知症は病気であり、病気である以上治る治らないは別にしてマイナスと捉える。そのため医師はなんとか症状の進行をストップさせようとするし、私達もそういう目で見、接してしまう。すると結構ストレスがたまる。早い話、何度も同じ質問を繰り返されるからイライラするのだ。
 それでもこちらに精神的余裕がある場合はいい。ところが相手はこちらの状況などお構いなしに、自分の都合でいろんなこと(どうでもいいようなこと)を言ってくるし、自由気ままに振る舞う。症状が重くなると徘徊という行動にも出る。これにいちいち返答し、対応しなければならないから、日常的に接している家族はストレスとフラストレーションが極度に高まってくる。

介護疲れで「出口なし」に

 私自身もそうだった。まだ母の認知症が比較的初期症状の頃が最もストレスがたまり、自殺を考えるところまではいかなかったが、介護疲れで自殺する人の気持ちが実感できた。
 その頃、月の半分近くを帰省して母の側で過ごしていたが、日に何度も同じことを聞かれたり、突然情緒不安定になって訳も分からず泣き出し、挙句には「死にたい」と言われる。
 参るのはいままで上機嫌だったのが、突然情緒不安定になりマイナス思考に陥る時だ。もう、そんな時はどこかへ逃げ出したくなり、時にカメラを持って近くの野山に逃避したりしていたが、ある時、吊り橋の上から下を見ていて、このまま落ちれば(まだ「飛び降りれば」ではなかったが)死ねるな、という考えがふと頭に浮かんだことがある。
 危ない、危ない。介護で追い詰められ、ふっとそんな気持ちになった時、そのままふらふらと行ってしまうのだろうと、その時分かった。
「一人で抱え込まないようにしてくださいよ」
 実家近くでデイサービスを行っているケアマネージャーが時々そう言ってこちらを気遣ってくれたが、相談相手がいないと悩みは出口なしの堂々巡りになる。実際その頃、私は胃がキリキリ痛み、このままではこちらが病気になると思ったものだ。
 それでも病気にもならずにいままで来られたのは、一つには私の住所と実家の間に距離があったことがある。なんといっても高速自動車道を走って7時間の距離である。「来てくれ」と言われても即行ける距離ではない。それがよかった。いわゆるオンとオフの切り替えができたわけで、それで精神のバランスが保たれていた。

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何段階かに分かれて進む症状

 その後も母の認知症は緩やかではあるが確実に進行していた。このままでは早晩寝たきりになることも覚悟する必要があると考え、迷いに迷い、悩みに悩んだが、最終的に福岡に連れて来て、近くのグループホーム(あるいて30分足らずの距離)に入居させた。
 住み慣れた場所を離れさせることについてはプラスマイナス両面があり、医師等の専門家数人に尋ねたが彼らの意見も分かれた。
 環境の変化で認知症が一気に進む可能性もあるし、環境変化に戸惑うのは最初だけだから、どこでも一緒だと言う医師もいた。結局、誰も先のことについては分からないのだ。
 母の変化について言えば、恐れていたようなこと(急激な進行)は起きなかった。むしろ私に頻繁に会えることを喜んでいたが、それでも故郷への想いは断ち難く、「家に帰りたい」と折に触れ訴えられるのが辛い。その間も認知症は確実に進み、この頃は食事をしたことさえ時々忘れだした。

 そんな母をずっと見てきて、認知症の症状にいくつかの段階(初期、中期という段階ではなく、症状の現れ方の違い)があることに気付いた。もちろん、それは母固有のもので、誰にでも当てはまることではないだろうが、もし同じように身内に認知症の人を抱えている人がいれば何かの参考になるかもしれないと思い、以下に記してみる。

1.少女期に戻る(回想話が多い。我が儘になる)
2.愚痴話が多くなる(回想話が多い。我が儘になる)
3.嫌なことを忘れる(回想話が減る。我が儘が減り、感謝の言葉を口にし出す)

両親を名前で呼びだした母

 初期症状の頃、母は少女に戻っていた。小学校や女学校に行っている時の話、要は結婚前の話を繰り返しするようになった。もしかすると、その頃が母の人生で最も輝いていた頃だったのかもしれないと思ったりするが、自慢話だけでなく僻みっぽい話も多かったから、果たして「輝ける青春時代」だったのかどうかは分からない。だが、いままで知らなかった母の人生、精神(こころ)の変遷を垣間見ることができたのは事実だ。
 例えば親の愛情に飢えていたのに、どうも子供の頃、母親は姉の方をかわいがり、自分はそれ程かわいがってもらえず「私は本当は両親の子供ではなく、橋の下に捨てられていた子だったのではないかと思っていた」ようだ。生家が商売をしていたため親は子供に構う時間がなかったし、当時の時代背景からすれば子供が家の家事手伝いをするのはごく普通のことだったと思うが、母の精神(こころ)の中には、同じ姉妹なのに姉の方ばかりかわいがられ、自分は母親に疎んじられたたという意識がずっと残っていたようだ。

 この頃、母は両親のことを名前で呼ぶようになっていた。「お父さん」「お母さん」あるいは「おじいちゃん」「おばあちゃん」ではなく「Rさん」「Kさん」とまるで他人のように両親を名前で呼ぶのだ。これには随分違和感を覚えた。私はいままで母の言動から母娘仲はいいと思っていたし、箱入り娘とまではいわないが「お嬢さん」として育てられてきたはず。だが、母には両親、特に母親に対する不満があり、それを精神の奥深くにしまい込み、他人には言わずにきたが、認知症になったことで理性という蓋が取れ、いままで仕舞い込んでいたものが表面に出てきたのだろう。
 しかし、それは悪いことではない。もし、そのまま精神(こころ)に蓋をし、仕舞い込んだままだったら、いつか精神のバランスを壊していたに違いない。認知症はそうならないための防止策ではないか。そう思い始めた。

姑その他への愚痴話が増える

 母の第2段階は姑その他への愚痴だった。姑にバカにされ、虐められた愚痴話。その一方で親戚や近所の誰それに対し、子供の頃から面倒見てきたのに見舞いにも来てくれないと愚痴をこぼすことが増えた。
 これは孤独感に老人性うつ病が加わったのだろうと考え、孤独感に陥らないように「見捨てはしない」というメッセージを発し、実際、言葉でも伝えて、極力会いにも行っていた。すでにこの頃には実家近くの施設(自立支援型小規模多機能住宅)に入居させ、週3日はデイサービスにも通うようにしていたが、それでもそのほかの時間は自室で一人で過ごさねばならず、その孤独感に苛まれていたようだ。
 しかし、すべてを満足させることは難しいし、すべてを望むのはやめてくれ。せめて何か一つは我慢してくれ。でないと共倒れになる。
 すでに、もう充分、俺の時間をあなたのために割いてきている、というのが私の言い分だが、それを言って理解できる頭ではなくなっているから、言いたくても言えない。それがこちらも辛い、というか、こちらのはけ口がない。24時間、自宅で面倒を見ている人の大変さがよく分かる。よく発狂せずにいられるものだと感心さえする。

 とにかくこの段階が私自身は一番苦しかった。なんといっても愚痴話、マイナスの話はこちらにも負の影響を与える。精神的によくない。かといって、「その話は何度も聞いた」「もうやめろ」などとでも言おうものなら、母はより孤独感に陥るだろう。「息子だから愚痴を言っているのに、その息子にまで愚痴を聞いてもらえないのか」と、一度ならず言われたこともあるし、ある時など「お願いだから怒らないでくれ」と言われビックリしたことがあった。
 「怒ってないだろ」と言ったが、認知症を患った相手は言葉ではなく、表情や声の調子を敏感に感じ取るようだ。「怒られると、よけい訳が分からなくなる」と泣き出したのを見て、もしかすると私の態度が母の認知症を進めているのかもしれないと反省した。
 頭では常に理解しているのだが、時として感情が先走りそうになる。それを抑えながら接するにはどうすればいいのか。この頃はそれを自問自答し、悩み続けた日々だった。

毎回繰り返される会話

 昨春、母を福岡のグループホームに入居させてから認知症に変化が見られた。最初の内は2日に一度、いまでも週1か2週間に三度の割合で面会に行っているので以前ほど寂しがらなくなったが、その間も認知症は確実に進んでいた。
 いまではつい先ほど自分で言ったことを忘れ、まるでテープを巻き戻すように何度も同じことを質問したり話したりするようになった。ただ、こちらも対応にかなり慣れてきたので、何度同じ話をされても初めてその話を聞くように答えられるまでになった。二人の会話を第三者が聞いていると「おかしいんじゃないの」となるに違いない。
 実際、入居者の中に一人、それほど認知症が進んでない人がいて、そのおばあちゃんは私を含め他の入居者達との会話が我慢できないらしく「何度も来られているじゃない」「この人はおばあちゃんの息子さん。何度言えば覚えると」と、面会に訪れる私に興味を示し、毎回、同じ質問をするおばあちゃんに教えようとする。だが、相手はそんなことを分からない。認知症を患った人にとっては、その瞬間瞬間が現実なのだから、例え3分前に見たり聞いたりしたことでも、いま目の前にある光景こそが初めて見る光景で、3分前の光景は完全に消し去られている。
 かくして、私が訪れると毎回次のような光景が数分おきに繰り返される。
「こちらはあなたのご主人?」とAさんが母に尋ねる。
「主人なわけないでしょ。息子。長男です」と母
「えっ、息子さん? 初めて見た。いい男ね」
「なに言いよんしゃると。もう何度も見えられとろうが。こちらはおばあちゃんの息子さん。何度言えば覚えると」と認知症がほとんどないBさんが多少イラついて教えようとする。
「まあ~息子さん。いい男ね。惚れ惚れするわ」とAさん
「ありがとう、ほめてくれて」と母

 私がグループホームを訪れると、まるで決まり事のように、こうした会話が繰り返される。皆、認知症とはいえ、いつもと違うものを見たり、いつもと違う人と話をしたいという欲求、好奇心、刺激を求める精神があるのだろう。母自身もよく訴える。「また来てね。身内の顔を見れば刺激になるから」と。

正常を保つために忘れていく

 直近のことは忘れるが、昔のことはよく覚えている。それが認知症の特徴と言われているし、そう思っていた。だが、母と話していて記憶が段階的に微妙に変化していくことに気付いた。既述したように少女期の話が多い時期と、姑等に対する愚痴が増えた時期へと変わり、いまは愚痴が減り、むしろ感謝の言葉を口にするようになった。
 脳が委縮し、思考する力が衰えたのだろうが、ある時何かの拍子に「おじいさんのことは覚えているけど、おばあさんのことは覚えてない」と母が口にし驚いたことがある。どうやら記憶から姑に関する嫌な記憶が消えたというか、消してしまったようだ。
 記憶があれば楽しいこともあるが、その逆もある。だが長年生きていればいいことばかりではなく、嫌なことも数多くあるだろう。記憶から嫌なことだけ消せればいいが、そういうわけにもいかない。それならいっそ記憶そのものを消し去り、いまを生きる方がいいかもしれない。そうすれば穏やかな気持ちで毎日を過ごせる。
 いまを生きる知恵--それが認知症ではないだろうか。神が与えてくれた力、認知症。そう考えれば認知症も悪くはない。
 人は彼岸に行く前、すべての煩悩を捨て去る。母は煩悩を捨てる準備を少しずつ始めたのかも分からない。
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by kurino30 | 2016-02-05 23:07 | Trackback | Comments(0)
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