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「九州の技術」や「九州の頑張る企業」「栗野的視点」などを収録 ジャーナリスト栗野の辛口コラム~栗野的視点 ジャーナリスト、経営コンサルタント、コーディネーターとして活動しながら、中小企業の経営に関する講演も数多くこなす栗野が独自の視点で経済や経営、社会問題を論評 栗野的風景 写真と文で綴るフォトエッセイ。主に花の写真が多い。 最新のトラックバック
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新米主夫業は大変
2006年 06月 07日
主夫も結構大変。
最近つくづくそう思う。 主夫業を始めて丸5年。 本当に我ながらよくやっているというか、環境が変われば人間はそれなりにやれるものだとつくづく思う。 もっとも環境に適応できなければ生きてはいけないのだから、やむを得ないというか、それが当たり前なのだろうが、それでもいままでインスタントラーメンさえ作ったことがなかった男が、いまでは掃除洗濯はもちろん食事の用意さえしているのだからね。 TVドラマの「熟年離婚」で渡哲也が洗濯機の使い方を知らないというシーンがあったが、現実の渡哲也はあのドラマの時に初めて洗濯機を触ったので、洗濯機の使い方を知らなかったのは演技でも何でもなかったそうだ。 私の場合は機械音痴ではないから掃除機、洗濯機等の操作で戸惑うことはないが、何分キッチンに立ったことがない。 それが妻の入院でやむなく家のことをしはじめたのが5年前。 それでも当時は掃除、洗濯程度で食事はスーパー等で弁当を買ってきて済ましていた。 それが退院、自宅療養に変わった頃から様子が一変。 膵臓ガンを煩った妻は発見された時はすでに末期といわれ、退院・自宅療養は回復の望みのない療養だった。 徐々に食欲を失っていく妻・・・。 私がキッチンに立ちだしたのは、そんな妻に食べさせるためだった。 うどんなら食べられるというので、ニンジン、ピーマン、春菊、ネギ、アガリクス茸などを刻み、卵を落とした「特製うどん」を作る。 包丁を持ったのはこの時が初めてだった。 「指を切らんとよ」 と言われながら不器用に切っていた。 うどんか雑炊しか作れない私の料理を、それでも妻はおいしい、おいしいと言って食べてくれた。 とても1人前とは言えない仮免主夫業。 でも、わずか1年で卒業。 それ以後は作りたくても食べさせる相手がいなくなった。 気が付いたらもう5年。 いまでは一人の生活にもすっかり慣れ、主夫業も段々板に付いてきた。 毎年少しずつ色んなことを覚えていく。 昨年は魚を焼くことを覚えたし、今年はウールのセーターを自宅で洗ってみた。 それでもまだ煮物は出来ない。 朝起きると一番先にすることは外を見、TVの天気予報を聞くこと。 今日は晴れと分かれば洗濯だ。 特にこの時期は忙しい。 天気を見ながら洗濯をするだけでなく、冬物をクリーニングに出したり、衣替えのためにタンスの中を入れ替えたりと、することは結構多い。 主夫も大変・・・。 この頃主婦の大変さがやっと分かってきた。 ふるさとの味、壱岐の島茶漬け 新鮮な刺身を贅沢に切り込み、それを旅館秘伝の製法で造った人気商品
by kurino30
| 2006-06-07 00:19
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