病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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母を入院させる。
 母の腰の具合は日を追って悪くなった。
秋頃、レントゲンをとって見てもらうと、3番目と5番目の椎骨が潰れている(骨折)と診断された。
一つは古いものだが、もう一つは新しいから最近骨折したものだといわれ、思い当たることがあった。
 水害直後の後片づけが少し一段落した8月の終わり頃、庭の畑でバランスを崩し、母が背中から転んだのだ。
転びかけ物干しポールを掴んだのだが、ポール台の安定が悪く、ポールごと倒れてしまった。
 もんどり打って倒れたとはいえ畑だったので、腰を強打した風にも見えず、本人もどこか痛みを訴えるでもなく、そうした事実さえ忘れていたが、新しい骨折と医師に言われ、その時に違いないと私は思った。

 若い時ならなんということはないだろう。
ところが、歳を取るとクシャミでさえ骨折することがあるというぐらいだらか怖い。
「入院すれば治る」と診療所の医師は言ってくれたそうだ。
ところが、1か月も入院すれば惚けるかも分からない、と本人も家族も、そちらの方を恐れた。
歳だから多少のことは仕方ない・・・。
そんな気持ちも正直あった。
私も弟も腰痛とは長年付き合っているだけに、それ程真剣に、また親身になって考えなかったのは事実だ。

 だが、互いに仕事があるため、神戸と福岡に帰り、時々電話で安否を尋ねるしかなかった。
その内、入院させた方がこちらも楽だから入院させようということになり、弟に帰省して入院の段取りをしてくれるよう頼んだ。
母にもそのことを告げた。
ところが母の態度がはっきりしない。
数日前までは「入院しようかと思う」と言っていたのが、「いや、入院せんでもやっていける。入院したら私は惚けると思う」と言う。

 これまでにも、こうした会話を何度か交わしていた。
一度などは入院の方向で話が決まっていたのに、前日になり「入院しなくても大丈夫だから帰らなくていい」と母が弟に電話して断ったこともあった。
 それなのに後になり、「私は入院したかったんだ。それをリュウが、入院したら惚ける、と言って入院させてくれなかった」と責める。
それを聞いた弟は「もういい加減にせえよ」と怒る。

 こんなやり取りにその都度翻弄され、私も弟も疲れていた。
だから自分達のためにも入院してもらいたかった。
「とにかく入院させよう。でないと、また後で入院したいと言ってくるに決まっているから」
そう話し合い、今度は有無を言わせず入院させることにした。
といっても母の意思に反して強制的に行ったわけではなく、本人の意思を確認しているとその都度揺れるから、こちらが段取りをしたというだけで、そうと決まると母は入院の準備をあれこれと始めだし、その様子はなにか嬉しそうにも見えた。
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by kurino30 | 2010-05-26 12:26 | Trackback | Comments(0)
母も家族も、現実を受け入れられない。
 「他人には優しくできるけど、お袋にはできない。元気な頃のお袋を知っているから、同じことを何度も言われると、イライラする」
 優しかった弟がそう言い出した。
それはそうだ。
つい1、2か月前までしっかりしていた母が水害に遭ってからというもの、まるで亡くなった子の年を数えるように「○○も流れた。△△も捨てられた。なんであんなものまで捨てられたのか」と、毎日繰り言を言う。
それだけでも嫌なのに、昨日言ったことを今日初めて言うように言う。
そうしたことも一度や二度なら、「それは昨日聞いたよ」と優しく返事できるが、毎日のように繰り返されだすと、「何度も同じことを言うな」と、つい怒声を上げることもある。
すると、今度は母が怒る。
「お前達は私が邪魔なのか」と。
こちらも反省し、「そうではないんだよ。それはさっきこうするからと決めたやろ」と、優しくなだめる。

 だが、それもこれも兄弟2人揃っている時のことで、どちらか1人の時だと、うまく対応できない。
2人の時だと、どちらかがうまくなだめ役になれるからいいが、1人だと全てを自分で受けなければいけないのでストレスがたまる。
その辺をうまく受け流す術を弟も私もまだ身に付けていなかった。
徐々に弟の足が遠ざかりだした。

 私はといえば1000円高速を利用して福岡から7時間かけて帰省していたから、一度帰省すると最短でも1週間滞在しなければならない。
もちろん通常通りに高速料金を払うなら別だが、一度1000円高速を利用しだすと、もうとてもそんな気はなくなる。
 年末年始に帰省しても正月2日には帰福していたぐらいで、実家にいるのは3日が限度と感じていた私だから、1週間の滞在は「修行」みたいなものだった。
 この先、どうなるのだろう・・・。
そんな不安を抱えた日々が続いていた。
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by kurino30 | 2010-05-18 21:29 | Trackback | Comments(0)
慣れない介護に戸惑い、苛つく日々の始まり。
 昨年8月、兵庫・岡山県を襲った台風による集中被害で田舎が床上浸水の被害に遭った。
その後片づけも大方終わり、後は細々した片付けだけになり、手伝いのボランティアも親戚連中もそれぞれの自宅に帰り、後に残ったのは私と母の2人になった。
その私もしばらく後には母一人を残して福岡に帰らなければならない。
一人残って大丈夫だろうか、と思いつつ、まだ気丈な母の姿に安心もしていた。

 そんなある日、母が庭で転んだ。
私の見ている前で後ろ向きに転んだ。
なにかの拍子に足元がぐらついたのだろうが、倒れかかった体を支えようと物干し台に手を掛けたまではよかったが、物干し台が不安定で母の体重を支えきれず一緒に倒れてしまった。
それから1か月ほどして腰の痛みを訴えるようになった。

 最初は誰も気付かなかった。
母自身が転倒したことさえ記憶になかった。
だが原因はそれしかなかった。
形成外科の医師は脊椎が圧迫骨折していると言った。
日を追う毎に母は動けなくなり、1日横になって過ごすようになった。
しかし、誰もこの現実を受け入れられなかった。
当の母自身が現実を認識していなかった。
でも、体が言うことをきかない。
だから本人も苛立つ。
家族もこの間までの元気な母を見ているから、腰痛は誰もがある、ちょっと横になっていればその内治る、というぐらいの認識しかなかった。
 
 現実と認識のズレこそ問題なのだが、当初、いや最近まで家族(といっても私と弟だが)は気付かなかった。
 母は元気な頃と同じように、いやそれ以上にあれをこうして欲しいと指図する。
自分の体が動かないからよけい指図が増える。
しかも思い付いたことをその都度言う。
それにこちらが振り回される。
つい怒声もあげる。
そんな毎日が続きだした。

 いつかは来るかもしれない。
でも、出来ることなら来て欲しくない、と願っていた介護の日がすぐそこに迫っていた。
しかし、誰もがそのことを受け入れられなかった。
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by kurino30 | 2010-05-14 18:41 | Trackback | Comments(0)