病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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母も家族も、現実を受け入れられない。
 「他人には優しくできるけど、お袋にはできない。元気な頃のお袋を知っているから、同じことを何度も言われると、イライラする」
 優しかった弟がそう言い出した。
それはそうだ。
つい1、2か月前までしっかりしていた母が水害に遭ってからというもの、まるで亡くなった子の年を数えるように「○○も流れた。△△も捨てられた。なんであんなものまで捨てられたのか」と、毎日繰り言を言う。
それだけでも嫌なのに、昨日言ったことを今日初めて言うように言う。
そうしたことも一度や二度なら、「それは昨日聞いたよ」と優しく返事できるが、毎日のように繰り返されだすと、「何度も同じことを言うな」と、つい怒声を上げることもある。
すると、今度は母が怒る。
「お前達は私が邪魔なのか」と。
こちらも反省し、「そうではないんだよ。それはさっきこうするからと決めたやろ」と、優しくなだめる。

 だが、それもこれも兄弟2人揃っている時のことで、どちらか1人の時だと、うまく対応できない。
2人の時だと、どちらかがうまくなだめ役になれるからいいが、1人だと全てを自分で受けなければいけないのでストレスがたまる。
その辺をうまく受け流す術を弟も私もまだ身に付けていなかった。
徐々に弟の足が遠ざかりだした。

 私はといえば1000円高速を利用して福岡から7時間かけて帰省していたから、一度帰省すると最短でも1週間滞在しなければならない。
もちろん通常通りに高速料金を払うなら別だが、一度1000円高速を利用しだすと、もうとてもそんな気はなくなる。
 年末年始に帰省しても正月2日には帰福していたぐらいで、実家にいるのは3日が限度と感じていた私だから、1週間の滞在は「修行」みたいなものだった。
 この先、どうなるのだろう・・・。
そんな不安を抱えた日々が続いていた。
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# by kurino30 | 2010-05-18 21:29 | Trackback | Comments(0)
慣れない介護に戸惑い、苛つく日々の始まり。
 昨年8月、兵庫・岡山県を襲った台風による集中被害で田舎が床上浸水の被害に遭った。
その後片づけも大方終わり、後は細々した片付けだけになり、手伝いのボランティアも親戚連中もそれぞれの自宅に帰り、後に残ったのは私と母の2人になった。
その私もしばらく後には母一人を残して福岡に帰らなければならない。
一人残って大丈夫だろうか、と思いつつ、まだ気丈な母の姿に安心もしていた。

 そんなある日、母が庭で転んだ。
私の見ている前で後ろ向きに転んだ。
なにかの拍子に足元がぐらついたのだろうが、倒れかかった体を支えようと物干し台に手を掛けたまではよかったが、物干し台が不安定で母の体重を支えきれず一緒に倒れてしまった。
それから1か月ほどして腰の痛みを訴えるようになった。

 最初は誰も気付かなかった。
母自身が転倒したことさえ記憶になかった。
だが原因はそれしかなかった。
形成外科の医師は脊椎が圧迫骨折していると言った。
日を追う毎に母は動けなくなり、1日横になって過ごすようになった。
しかし、誰もこの現実を受け入れられなかった。
当の母自身が現実を認識していなかった。
でも、体が言うことをきかない。
だから本人も苛立つ。
家族もこの間までの元気な母を見ているから、腰痛は誰もがある、ちょっと横になっていればその内治る、というぐらいの認識しかなかった。
 
 現実と認識のズレこそ問題なのだが、当初、いや最近まで家族(といっても私と弟だが)は気付かなかった。
 母は元気な頃と同じように、いやそれ以上にあれをこうして欲しいと指図する。
自分の体が動かないからよけい指図が増える。
しかも思い付いたことをその都度言う。
それにこちらが振り回される。
つい怒声もあげる。
そんな毎日が続きだした。

 いつかは来るかもしれない。
でも、出来ることなら来て欲しくない、と願っていた介護の日がすぐそこに迫っていた。
しかし、誰もがそのことを受け入れられなかった。
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# by kurino30 | 2010-05-14 18:41 | Trackback | Comments(0)
どこに行けば 見つかりますか
悲しい言葉が 一杯詰まった 詩集を 
1冊持って 夜汽車に乗れば 
涙が 溢れてくるでしょうか
たった一人で 乗った 自分が 
悲しくて 泣くのでしょうか
それとも 置いてきた妻が 哀れで
泣けるのでしょうか

バケツ1杯ほども 泣けば 
悲しい過去に さよならが できるでしょうか
汽笛も 悲しく 泣いてくれるでしょうか

どこに行けば 見つかりますか
思いっ切り 泣ける場所は 
どこに行けば 見つかりますか
溢れる涙を 拭う場所が

タライ一杯ほども 泣いた時
明るい明日が 来るのでしょうか

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# by kurino30 | 2009-05-23 15:20 | Trackback | Comments(0)
メタボ検診で血尿発見、泌尿科で前立腺の検査
 昨日、ホームドクターの所でメタボ検診を受けた。
メタボ気味ではないのだが、「ミニドックよりいいから一度受けた方がいいわよ」と、ドクターから言われていたので受けることにした。
実は本当の目的はほかにあって、胃カメラ検査をしなければと考え、紹介状を書いてもらおうと思ったのだ。
 ウイルス肝炎の検査も勧められたので、ついでにすることにした。
といってもいつもより余分に採血されるだけだが。

 ここまでは何の問題もなく進み、ドクターの問診を受けている時、看護師さんが側に寄ってきて「先生!」と小声で言う。
大体、人が小声で言う時はあまりろくなことはない。
見ると、看護師さんの顔が曇っている。
手には先程採った尿を入れた試験管を持っている。

 「えっ、血栓? プラス2?」
「すぐ泌尿器科へ行きなさい。症状が出ているときに診るのが一番だから」
 というわけで、泌尿器科専門のクリニックへ紹介状を書いてもらい、その足で行くことに。

 夜中にトイレでたびたび起きることもないし、排尿時に痛むこともないので前立腺にそれほど問題があるとは思ってなかったが、年々、前立腺ガンが増える傾向にあるらしいから少し心配。
血尿が初めて出たのはもう6、7年前。
妻が他界した直後だった。
この時は鮮血がボタボタと落ちたのでさすがに慌てた。
恐らく初潮を経験したときはこんな気分ではないかと思った。

 この時は済生会病院で内視鏡検査までしたが、特に異常は認められなかった。
ただ、その後も時々尿に血栓が混じっているのを確認するようになった。
マズイかな・・・。
そう感じながら、ドクターの説明を聞き、エコー検査、触診と受けていく。
「特に異常は認められませんね」
「右の腎臓はきれい」
「おやっ、左の腎臓にのう胞があるね」
「おっ、結石がある。これが出血の原因かもしれないね。直径8ミリ」

 詳しい検査結果は1週間後に分かるということだが、取り敢えず前立腺ガンの心配はなさそうだということになった。
やれやれ。
安心すると同時に、できるだけ定期検診をする必要があると自覚した。
まずはホームドクターに感謝。
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# by kurino30 | 2009-05-21 13:20 | Trackback | Comments(0)
毎日を大事に生きるしかない。
 妻の死後6年目に咲いたデンドロビュームの花が、以来毎年咲いている。
特に今年は、昨年株分けして鉢植えを2つにしたので、2つとも咲いた。
株分けして新しい鉢に移した方が早く咲き、元からの鉢の方が後から咲いたが、咲いている期間は随分長かった。

 ところで数日前、バス停で素敵な女性を見かけた。
年の頃は70前後。
花柄の洋服の上下に、似たような花柄の杖を持ち、頭にはつば広の白っぽい帽子。
とてもオシャレな感じがする年配の女性である。
しばらすると、バス停にやってきた男性がその女性に目を止め、覗き込むように顔を見つめたかと思うと
「○○さんじゃない? あっ、やはりそうだ」。
どうやら旧知の間柄らしい。

 程なくバスが来、我々3人は同じバスに乗った。
彼ら2人は私の前の席に座ったので、否応なく会話が耳に入ってくる。
「私は胸のリンパ腺にきているでしょ」
「2か月したらPETを受けようと思っているけど、それで転移していたら仕方ない。手術はしない」
「毎日を大事に生きるしかないもの」
 と女性。

 「私も少し痩せました」
「それで以前履けなかったジーパンが履けるようになったので、この際履いちゃえと思ってジーパンを履きました」
 と男性。

「それぐらいの方がいいよ。前はちょっと太りすぎだもの」
「好きなことをしたらいいのよ。明るく生きたら免疫力も高まるんだから」

 2人の会話を聞くともなしに聞いていたが、どうやら2人ともガンを患っているようだ。
それにしても2人とも明るい。
話もひそひそ話という風ではなく、むしろ声は大きいぐらいだった。

 こういう生き方もあるのだな、と聞いているこちらの方が勇気をもらった。
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# by kurino30 | 2009-05-13 12:11 | Trackback | Comments(0)
気管支拡張症で通院、定期検査で肝臓に腫瘍が発覚。
栗野さまのお医者さまとの会話に、もの凄い実感を感じました。

私も、今年(02年)の1月によく似た会話を医師と交わしているからです。
主人が、持病の気管支拡張症で通院している大学病院での定期検査の
折りに肝臓に腫瘍が発覚。中期の癌で2カ所あり、ひとつは血管に食
い込んでいるとの事でした。C型肝炎があるので発症は普通の人の7
倍くらいだそうですが、疲労度が高い以外には自覚症状は全く無く、
この定期検査が幸いしました。

年齢(63です)、体力(痩せています)、持病(気管支拡張症)にも
かかわらず、手術時にも担当医が心配した合併症も起こさず、肝臓の
予後は驚くほど良いのですが(外出はまだ近所の散歩と通院くらいで
すが)、やはり急に熱がでたりして気は抜けません。

持病の気管支拡張症は、抗生剤の効かない緑膿菌がいます。その為に
3年ほど通院している大学病院で、 c型肝炎もあるので、飲んでいる
薬の影響を知るための血液検査や定期検査(腹部エコー)を受けてい
たが故に、癌(中期と言われました)を発見することができたと言え
るので(自覚症状は皆無でした。疲労度は高かったのですが、仕事と
昨年の経営の事故のストレスの為だと思っていました)何が幸いする
か分かりませんね。

現在は術後の加療として肝臓に直接注入する抗ガン剤の処置(計8回)
に通院しており、5月23日に加療後の検査をして、その後の計画を相談
することになっています。
身体の他の部分に抗ガン剤が廻らないので、副作用が無いのは幸いです。
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# by kurino30 | 2008-09-17 23:15 | Trackback | Comments(0)
泣かんでいい、また逢える.
 しばらくアップしていなかったのですが、昔のメールを読み返しながら、妻が亡くなった当時は随分皆から慰められたのだなと改めて感じました。
それと同時に、こんなにも身内をガンで亡くされた人が多いのかということも。

 もしかすると、私が慰められ、励まされたように、当時皆からもらったメールを紹介することは当ブログの読者にも少しは慰め、励ましになるかもしれないと思い、今回から何回かに分け収録することにします。
 頂いた方は私の個人的な友人、知人ということもあり、名前は省きます。


 私もかって両親を癌で失っています。
昔の事ゆえペインコントロ-ルも十分ではなく、随分両親の苦しむ姿が
未だに脳裏に鮮明にやきついております。 
発症から死に至るまで身近にそれを見てきた家族にとっては、
このことは思い出すにも辛いものが有ります。

 日常の煩いの中で日頃は心深く封印している、この深い悲しみが
奥様に関する2回の通信を拝読することにより昨日の事の様に思い起こされました。
いい年をして不覚にも落涙を禁じ得ませんでした。

 でも今こうやって故人の苦闘を思い起こし涙を流す事も故人への
供養ではないかと思います。
そのような機会を与えてくださった貴兄に感謝致します。
 父が薄れいく意識の中で最後に残した言葉は
「泣かんでいい、また逢える」。

 私は宗教は持ちませんがこの言葉には本当にすくわれました。
ちなみに父も膵臓癌でした。
悲しみを乗り越えますますご活躍される事をお祈りいたします。
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# by kurino30 | 2008-09-11 23:38 | Trackback | Comments(0)
桜が好きだった妻へ
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 桜の季節に入院し、桜と共に逝った妻へ

あの時以来、桜の写真を撮り続けて丸6年

2日後には7年目に入る

残りの人生、いっそ太く短く無頼に生きたい、

と思ってはみるが、小市民の悲しさ

それもできず

かといって聖人君子然と清く貧しく美しく生きることもできず

貧しく、醜く、流されながら、年を経ていく我が身の悲しさ。
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# by kurino30 | 2008-04-11 11:37 | Trackback | Comments(0)
6年目に咲いたデンドロビュームを妻の霊前に見せる。
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ベランダのデンドロビュームが花を咲かせた。
数日前から蕾が出ていたが、昨日頃から一斉に花開きだした。
まるで12日の妻の命日に合わせるかのように。

 私はいままでこの花が咲くとは知らなかった。
当然、植物の名前も知らなかった。
それ程長い間花が咲かなかったのだ。
それでも妻亡き後、それがまるで私の日課であるかのように、私はベランダの花に水をやり続けた。

 そしてことし、きれいな花が咲いた。
香りがとてもいい。
室内に入れると部屋中甘い香りで一杯になる。
花の名前は花屋さんに調べに行ってデンドロビュームだと分かった。

 妻が他界したのは10時40分。
血圧が下がり、眠ったまま静かに息を引き取った。
 最後に言葉を交わしたのは夕方5時頃だった。
私はベッドの横で妻の手を握りながら「30年間ありがとう」と眠っている妻に話しかけた。
すると眠っていると思った妻が「ううん」と首をかすかに横に振り、私の方に両手を差し出したのだ。
起こしてくれといっているのかと思い、抱きかかえようとした私の首に腕を回したまま「あなたが居てくれたから」と妻が囁くような声で言った。
そしてしばらく頬を合わせたままくじっとしていた。
頬に妻のぬくもりを感じながら、私は「ごめんね、ごめんね」と、ただ繰り返していた。

 これが最後の会話になった。
その後目を覚ますことも、意識が戻ることもなく、一人旅立った。
「今日は一緒に寝ようね」と約束していたのに・・・。

 それから丸5年。
その間一度も咲かなかった花が咲いたということは、少しは私を許してくれたのだろうか。

セコムの食
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# by kurino30 | 2007-04-13 00:17 | Trackback | Comments(0)
新米主夫業は大変
 主夫も結構大変。
最近つくづくそう思う。
主夫業を始めて丸5年。
本当に我ながらよくやっているというか、環境が変われば人間はそれなりにやれるものだとつくづく思う。
もっとも環境に適応できなければ生きてはいけないのだから、やむを得ないというか、それが当たり前なのだろうが、それでもいままでインスタントラーメンさえ作ったことがなかった男が、いまでは掃除洗濯はもちろん食事の用意さえしているのだからね。

 TVドラマの「熟年離婚」で渡哲也が洗濯機の使い方を知らないというシーンがあったが、現実の渡哲也はあのドラマの時に初めて洗濯機を触ったので、洗濯機の使い方を知らなかったのは演技でも何でもなかったそうだ。
 私の場合は機械音痴ではないから掃除機、洗濯機等の操作で戸惑うことはないが、何分キッチンに立ったことがない。
それが妻の入院でやむなく家のことをしはじめたのが5年前。

 それでも当時は掃除、洗濯程度で食事はスーパー等で弁当を買ってきて済ましていた。
それが退院、自宅療養に変わった頃から様子が一変。
膵臓ガンを煩った妻は発見された時はすでに末期といわれ、退院・自宅療養は回復の望みのない療養だった。

 徐々に食欲を失っていく妻・・・。
私がキッチンに立ちだしたのは、そんな妻に食べさせるためだった。
うどんなら食べられるというので、ニンジン、ピーマン、春菊、ネギ、アガリクス茸などを刻み、卵を落とした「特製うどん」を作る。
包丁を持ったのはこの時が初めてだった。
「指を切らんとよ」
と言われながら不器用に切っていた。

 うどんか雑炊しか作れない私の料理を、それでも妻はおいしい、おいしいと言って食べてくれた。
とても1人前とは言えない仮免主夫業。
でも、わずか1年で卒業。
それ以後は作りたくても食べさせる相手がいなくなった。

 気が付いたらもう5年。
いまでは一人の生活にもすっかり慣れ、主夫業も段々板に付いてきた。
毎年少しずつ色んなことを覚えていく。
昨年は魚を焼くことを覚えたし、今年はウールのセーターを自宅で洗ってみた。
それでもまだ煮物は出来ない。

 朝起きると一番先にすることは外を見、TVの天気予報を聞くこと。
今日は晴れと分かれば洗濯だ。
特にこの時期は忙しい。
天気を見ながら洗濯をするだけでなく、冬物をクリーニングに出したり、衣替えのためにタンスの中を入れ替えたりと、することは結構多い。
主夫も大変・・・。
この頃主婦の大変さがやっと分かってきた。

ふるさとの味、壱岐の島茶漬け
新鮮な刺身を贅沢に切り込み、それを旅館秘伝の製法で造った人気商品

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# by kurino30 | 2006-06-07 00:19 | Trackback(1) | Comments(0)