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病気と医療について考える~栗野的通信
kurino.exblog.jp

ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。

by kurino30
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母も家族も、現実を受け入れられない。
 「他人には優しくできるけど、お袋にはできない。元気な頃のお袋を知っているから、同じことを何度も言われると、イライラする」
 優しかった弟がそう言い出した。
それはそうだ。
つい1、2か月前までしっかりしていた母が水害に遭ってからというもの、まるで亡くなった子の年を数えるように「○○も流れた。△△も捨てられた。なんであんなものまで捨てられたのか」と、毎日繰り言を言う。
それだけでも嫌なのに、昨日言ったことを今日初めて言うように言う。
そうしたことも一度や二度なら、「それは昨日聞いたよ」と優しく返事できるが、毎日のように繰り返されだすと、「何度も同じことを言うな」と、つい怒声を上げることもある。
すると、今度は母が怒る。
「お前達は私が邪魔なのか」と。
こちらも反省し、「そうではないんだよ。それはさっきこうするからと決めたやろ」と、優しくなだめる。

 だが、それもこれも兄弟2人揃っている時のことで、どちらか1人の時だと、うまく対応できない。
2人の時だと、どちらかがうまくなだめ役になれるからいいが、1人だと全てを自分で受けなければいけないのでストレスがたまる。
その辺をうまく受け流す術を弟も私もまだ身に付けていなかった。
徐々に弟の足が遠ざかりだした。

 私はといえば1000円高速を利用して福岡から7時間かけて帰省していたから、一度帰省すると最短でも1週間滞在しなければならない。
もちろん通常通りに高速料金を払うなら別だが、一度1000円高速を利用しだすと、もうとてもそんな気はなくなる。
 年末年始に帰省しても正月2日には帰福していたぐらいで、実家にいるのは3日が限度と感じていた私だから、1週間の滞在は「修行」みたいなものだった。
 この先、どうなるのだろう・・・。
そんな不安を抱えた日々が続いていた。
# by kurino30 | 2010-05-18 21:29
慣れない介護に戸惑い、苛つく日々の始まり。
 昨年8月、兵庫・岡山県を襲った台風による集中被害で田舎が床上浸水の被害に遭った。
その後片づけも大方終わり、後は細々した片付けだけになり、手伝いのボランティアも親戚連中もそれぞれの自宅に帰り、後に残ったのは私と母の2人になった。
その私もしばらく後には母一人を残して福岡に帰らなければならない。
一人残って大丈夫だろうか、と思いつつ、まだ気丈な母の姿に安心もしていた。

 そんなある日、母が庭で転んだ。
私の見ている前で後ろ向きに転んだ。
なにかの拍子に足元がぐらついたのだろうが、倒れかかった体を支えようと物干し台に手を掛けたまではよかったが、物干し台が不安定で母の体重を支えきれず一緒に倒れてしまった。
それから1か月ほどして腰の痛みを訴えるようになった。

 最初は誰も気付かなかった。
母自身が転倒したことさえ記憶になかった。
だが原因はそれしかなかった。
形成外科の医師は脊椎が圧迫骨折していると言った。
日を追う毎に母は動けなくなり、1日横になって過ごすようになった。
しかし、誰もこの現実を受け入れられなかった。
当の母自身が現実を認識していなかった。
でも、体が言うことをきかない。
だから本人も苛立つ。
家族もこの間までの元気な母を見ているから、腰痛は誰もがある、ちょっと横になっていればその内治る、というぐらいの認識しかなかった。
 
 現実と認識のズレこそ問題なのだが、当初、いや最近まで家族(といっても私と弟だが)は気付かなかった。
 母は元気な頃と同じように、いやそれ以上にあれをこうして欲しいと指図する。
自分の体が動かないからよけい指図が増える。
しかも思い付いたことをその都度言う。
それにこちらが振り回される。
つい怒声もあげる。
そんな毎日が続きだした。

 いつかは来るかもしれない。
でも、出来ることなら来て欲しくない、と願っていた介護の日がすぐそこに迫っていた。
しかし、誰もがそのことを受け入れられなかった。
# by kurino30 | 2010-05-14 18:41
どこに行けば 見つかりますか
悲しい言葉が 一杯詰まった 詩集を 
1冊持って 夜汽車に乗れば 
涙が 溢れてくるでしょうか
たった一人で 乗った 自分が 
悲しくて 泣くのでしょうか
それとも 置いてきた妻が 哀れで
泣けるのでしょうか

バケツ1杯ほども 泣けば 
悲しい過去に さよならが できるでしょうか
汽笛も 悲しく 泣いてくれるでしょうか

どこに行けば 見つかりますか
思いっ切り 泣ける場所は 
どこに行けば 見つかりますか
溢れる涙を 拭う場所が

タライ一杯ほども 泣いた時
明るい明日が 来るのでしょうか

# by kurino30 | 2009-05-23 15:20
メタボ検診で血尿発見、泌尿科で前立腺の検査
 昨日、ホームドクターの所でメタボ検診を受けた。
メタボ気味ではないのだが、「ミニドックよりいいから一度受けた方がいいわよ」と、ドクターから言われていたので受けることにした。
実は本当の目的はほかにあって、胃カメラ検査をしなければと考え、紹介状を書いてもらおうと思ったのだ。
 ウイルス肝炎の検査も勧められたので、ついでにすることにした。
といってもいつもより余分に採血されるだけだが。

 ここまでは何の問題もなく進み、ドクターの問診を受けている時、看護師さんが側に寄ってきて「先生!」と小声で言う。
大体、人が小声で言う時はあまりろくなことはない。
見ると、看護師さんの顔が曇っている。
手には先程採った尿を入れた試験管を持っている。

 「えっ、血栓? プラス2?」
「すぐ泌尿器科へ行きなさい。症状が出ているときに診るのが一番だから」
 というわけで、泌尿器科専門のクリニックへ紹介状を書いてもらい、その足で行くことに。

 夜中にトイレでたびたび起きることもないし、排尿時に痛むこともないので前立腺にそれほど問題があるとは思ってなかったが、年々、前立腺ガンが増える傾向にあるらしいから少し心配。
血尿が初めて出たのはもう6、7年前。
妻が他界した直後だった。
この時は鮮血がボタボタと落ちたのでさすがに慌てた。
恐らく初潮を経験したときはこんな気分ではないかと思った。

 この時は済生会病院で内視鏡検査までしたが、特に異常は認められなかった。
ただ、その後も時々尿に血栓が混じっているのを確認するようになった。
マズイかな・・・。
そう感じながら、ドクターの説明を聞き、エコー検査、触診と受けていく。
「特に異常は認められませんね」
「右の腎臓はきれい」
「おやっ、左の腎臓にのう胞があるね」
「おっ、結石がある。これが出血の原因かもしれないね。直径8ミリ」

 詳しい検査結果は1週間後に分かるということだが、取り敢えず前立腺ガンの心配はなさそうだということになった。
やれやれ。
安心すると同時に、できるだけ定期検診をする必要があると自覚した。
まずはホームドクターに感謝。
# by kurino30 | 2009-05-21 13:20
毎日を大事に生きるしかない。
 妻の死後6年目に咲いたデンドロビュームの花が、以来毎年咲いている。
特に今年は、昨年株分けして鉢植えを2つにしたので、2つとも咲いた。
株分けして新しい鉢に移した方が早く咲き、元からの鉢の方が後から咲いたが、咲いている期間は随分長かった。

 ところで数日前、バス停で素敵な女性を見かけた。
年の頃は70前後。
花柄の洋服の上下に、似たような花柄の杖を持ち、頭にはつば広の白っぽい帽子。
とてもオシャレな感じがする年配の女性である。
しばらすると、バス停にやってきた男性がその女性に目を止め、覗き込むように顔を見つめたかと思うと
「○○さんじゃない? あっ、やはりそうだ」。
どうやら旧知の間柄らしい。

 程なくバスが来、我々3人は同じバスに乗った。
彼ら2人は私の前の席に座ったので、否応なく会話が耳に入ってくる。
「私は胸のリンパ腺にきているでしょ」
「2か月したらPETを受けようと思っているけど、それで転移していたら仕方ない。手術はしない」
「毎日を大事に生きるしかないもの」
 と女性。

 「私も少し痩せました」
「それで以前履けなかったジーパンが履けるようになったので、この際履いちゃえと思ってジーパンを履きました」
 と男性。

「それぐらいの方がいいよ。前はちょっと太りすぎだもの」
「好きなことをしたらいいのよ。明るく生きたら免疫力も高まるんだから」

 2人の会話を聞くともなしに聞いていたが、どうやら2人ともガンを患っているようだ。
それにしても2人とも明るい。
話もひそひそ話という風ではなく、むしろ声は大きいぐらいだった。

 こういう生き方もあるのだな、と聞いているこちらの方が勇気をもらった。
# by kurino30 | 2009-05-13 12:11