病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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終着に向けてラストウォーキング
 よく生きたものはよく死ぬ、という言葉はあっただろうか。よく死ぬとはよく生きることである、だったか。いずれにしろ終焉をどう迎えるのかというのはとても難しい。
 それはきれいごとでは済まないからだ。本人の意向と家族の意向が違うことはよくある。家族にすれば1日でも長く生きて欲しいと思うが、本人の方は機械によって生かされているような生き方はしたくない、あるいはこの苦しみから早く解放されたい、と思うから延命処置は必要ないと言う。それでも本人の意思がそのまま通るとは限らない。意識がなくなれば後の処置を決めるのは残された家族だからだ。

 弟は自らの意思で終焉の迎え方を決め、いま終着に向かって静かに歩み始めている。私は1週間前に続き、昨日、再び病院を訪れ、「よく頑張った。もう力を抜いていい。ゆっくり逝け」と弟に話しかけてきた。
 弟がラストウォーキングを始めたのは4月20日。それより数日前、17日の午前10時、電話がかかってきた。
「兄貴、21日の週に来ると言っていたけど、いつなのか日にちを決めてくれ」
 日にちを決めろとは妙なことを言う。1日ベッドで寝ている身になにか都合でもあるのかと訝り、思わず「なにかあるのか」と問い返した。
「痛くてたまらんのや。もう、このまま永久に眠りたい。そうさせて欲しい、と皆に言っているんや。それでも兄貴の顔を見ずに行くわけにはいかんから。21日の週に兄貴が来ると言っているから、それまでは頑張るから、と先生には言っているんや」と泣く。

 電話口で言った弟の言葉が気になった。「21日に行く」とは返事したものの、すぐにでも行ってやった方がいいだろうと考え、それからバタバタと雑用を済ませ、車に荷物を積んで中国道を走り、取り敢えず岡山県北東部の実家まで帰ったのが17日の夜中。場合によってはGWが終わるまで滞在することも覚悟し、黒服も持って帰った。

 翌18日、病室で見た弟のあまりの痩せように驚いた。この1か月あまり点滴のみだから痩せるのは仕方ないが、目が窪み、頬がこけ、骨と皮のようになっていた。1か月前に母を連れて見舞いに行った時はまだそれ程痩せてはいなかったのに。

 母を弟に会わせるかどうかは随分迷った。入院している弟の姿を見てショックを受け、認知症が進むのではないかと恐れたのだ。
 それでも連れて行ったのは、「見舞いに連れて行ってくれ」と母が言っていたのと、「私がお母さんなら会いたいと思うよ」と言ったホームドクターの言葉に後押しされたからだった。
「会わせるならお母さんも弟さんも元気なうちの方がいいでしょう。いよいよになって会うとショックも大きいでしょうから」

 そうか、そういう考え方もあるかと思い、神戸まで連れて行くことにした。車で1時間半の距離は微妙だった。年寄りには疲れるだろうし、なにより車内に2人きりだとどうしても空気が重苦しくなる。ただ幸いだったのは、そうした事情を理解した彼女が福岡から同行してくれ、ずっと母の話し相手をしてくれたことだ。
 母はこれが親子の最後の別れになるとも思わず、久し振りに賑やかなドライブを楽しんでいた。

「もう痛み止めも限度一杯使っているんや。それでも夜眠られん」
「よう生きてきた。よう頑張ってきたんや。もういい」
「兄貴の顔を見ずに行くわけにいかないから。兄貴が来るまではと思っていたんや」
 延命処置は望まない、と入院時に伝えていた。「もう眠らせてくれ」というのが本人の意向だが、あまりにも淡々と話すので、「眠りたい」というのが、「夜、ぐっすり眠りたい」ということなのか「永久の眠りに就きたい」ということなのか、正確には分からなかったが、意味を本人に確認するのはさすがにできなかった。

 数日後、弟嫁から突然ケータイメールが届いた。
「彼はもう携帯は使える状態ではないです。お兄さんに会ってから終着に向けスタートすることを決めていたので、日曜日からそれに向けての注射を始めました」
 弟に連絡する時は電話ではなくケータイにメールするようにしていた。眠っている時に電話で起こすのは可哀想だからだ。目覚めてメールを見れば弟が電話をしてくる、というのが入院後、2人の連絡の取り方だった。
 ところが数日前に病室に弟を見舞った後、メールを2度ほど送っているのに電話がないので、おかしいなと思っていたところだ。

 起きていると痛みを感じて苦しいから、できるだけ眠っていられるようにしましょう。医師からはそう聞いた。
 もう他の処置をせず、眠ったまま自然に旅立てるようにして欲しい。それが弟の希望だった。最初は反対していた家族も、最後は弟の懇願に負けた形で折れたようだ。

 ケータイメールが届いた翌日、再度病室まで飛んでいった。
「○○さん、お兄さんが来られましたよ。分かりますか。目を開けて下さい」
 看護師が弟にそう呼び掛けてくれた。
 弟の名前を叫ぶ私の声はもう涙声だった。
「お兄さんが来られたの、分かっていますよ。涙を流してはるから」
「目は開けんでいい。瞑ったままでいい」
 なんとか目を開こうとする弟の動きを見て、私は弟にそう呼びかけた。
来ていることが分かっているなら、こちらの声が聞こえているなら、それでいい。

「おこひて、おこひて、おこひて」
 突然、弟が呂律の回らない声を発した。とっさにはなにを言っているのか理解できなかったが、どうやら体を起こしてくれと言っているらしいと分かり、電動ベッドを調整して、上体を少し起こしてやった。
 病室にいる間、弟が声を発したのはこれだけだったが、何度も何度も弟の眼から涙が流れた。

 1時前、病室を出て昼食をとっている時、突然、弟の考えが頭に浮かんだ。終着に向けてラストウォーキングを始めたのは、痛みや苦しみから逃れるためではなく、いや、それはもちろんあるだろうが、むしろ家族への思いやりだったのだ、と。
 ホスピスに入院してから、ことあるごとに嫁や息子の「了解をとって」、嫁に「済まないなと言いながら」と、家族に遠慮するような口ぶりが目立った。
 そういうことも併せ考えれば、できるだけ早く旅立った方が家族の負担が少なくなると考えたに違いない。

 数か月前、母を連れて行こうと思っていると弟に告げた時、弟は拒否した。あまり激しく拒否するので驚いたが、望まないのに会わせるのはやめようと計画を断念。ところが翌朝、電話がかかってきて「お袋は会いたいやろうな。会いたいと思うわ。連れて来て」と言ったので、この時も急遽、福岡から飛んで帰った。思えば私の行動はいつも急遽だ。

 この時すでにガンは膵臓から肝臓、リンパ節に転移しており、腸閉塞も起こしていたので、口から摂ることができるのは液体のみ。それも鼻からチューブを胃まで入れ、飲んだものを常時排出する処置を取っていた。「こんな姿をお袋には見せられない」。それが最初、拒否した理由だった。
 母を連れて行った時、弟はマスクをして鼻に入れているチューブが見えないようにしていた。私と違いどこまでも気を使う奴だった。

 弟のこうしたやさしさを考え併せた時、今回の弟の行動が全て理解できた。
病室に戻り弟に声を掛けた。
「お前の考えはよく分かったよ。家族への思いやりだったんだな。もう楽になっていい。力を抜いていい。ゆっくり逝け」
 弟の眼からまた涙が流れた。
目元をタオルで拭いてやり
「もうこれでお別れだ」
そう声を掛けて病室を後にした。
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by kurino30 | 2014-05-16 10:55