病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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友との別れ(2)
 2002年9月14日、私の友人で、西日本流体技研グループの会長・小倉理一さんが他界しました。肝臓ガンでした。
 小倉さんはSSKを退社し、当時の部下達7人の技術者と共に西日本流体技研という研究開発型の、全国でも珍しい技術者集団組織を設立した人です。

 私が初めて小倉さんに会ったのは91年8月ですから、もう10年以上前のことです。
長崎県北松浦郡小佐々町にユニークな企業があると聞き、取材に行ったのが最初でした。
 佐世保駅から随分遠く、こんな所に本当にユニークな企業があるのか、と感じたのを記憶しています。

 因みに私の集中力は2時間までが限度のようで、取材先も福岡から1時間半以上かかる所は途中で一度休憩して、コーヒーでも飲んで気合いを入れ直さなければなりません。
 ですから宮崎に行く時は必ず宮崎空港で一休みしてから行きますが、大変なのが鹿児島です。
空港から市内まで時間がかかるので空港で一休みしても再びダレます。
だから市内についてコーヒーを飲むようにしているのですが、その時間がない時は最悪です。

 西日本流体技研に行った時も最悪の状態でした。
佐世保までJRで1時間半。駅前でレンタカーを借りて行ったのですが、どんどん田舎に行くものですから、コーヒータイムをする場所がなく、結局そのまま取材に入りました。
ところが小倉さんの話が面白かったものですから、こちらもどんどん乗っていきました。

 私は気に入った相手には何度か続けて取材するようにしていますが、小倉さんの場合もそうでした。
2カ月後には口実を設けて別の媒体で取材をしたものです。
たまたま小倉さんの母親と私が同じ大学の卒業生ということもあり、「お前はお袋の後輩じゃけんな」と可愛がられ、以来、佐世保に行った時はよく2人で飲み歩いたものでした。

 その頃から、私は小倉さんを中心にした7人の技術者の物語に興味があり、そのことを本に書く予定で、彼にもそのことを伝えていました。
出版予定は20周年か25周年の時。そう2人で話し合っていました。
それなのに・・・。
 九大の友人に続いて、私は2人の友人をガンで亡くしました。
これ以上、身近な人がガンで亡くなりませんように・・・。 
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by kurino30 | 2004-12-29 09:43
友との別れ(1)
 人間とは不思議なもので、突然あることに気付いたり、あるものが見えたりすることがあります。
別にそれまで隠れていたものが見えるわけではありません。
そこにあったり、情報として飛び交っていたのに、関心がなかったから情報をキャッチできなかっただけです。あるいは情報が自分の上を素通りしていたといった方がいいかもしれません。
 病気もそうで、いままでガンにさほど関心がなかったから気付かなかったのですが、妻がガンに冒されてから、この病気があまりにも身近なところにたくさんあったことに気が付きました。

 14年前、無二の親友と思っていた知人が亡くなりました。
彼は九大理学部の教授で、ひょんなことから知り合い(知り合った時は助教授でした)、以来、文学から大学、社会問題までいろんな話を飲みながらよくしたものです。

 彼が飲みたいと電話してくる時は大抵、大学で何か嫌なことがあった時でした。
教授会で問題があったとか、学長選挙に絡むことだったりとか、いわば「象牙の塔」の中のドロドロした問題に憤慨していました。
そんな話を学内の人間とすれば、派閥争いの餌食になります。

 だが、学外の、一切利害関係がない人間になら多少の愚痴をこぼしても安心です。
だから、そんな時はいつでも連絡して欲しい。一緒に飲みましょう、と勧めていました。
私も彼と飲むのが好きだったから。

 だって、いまどき飲んで幅広く議論できる相手なんかどこにもいないのですから。
ちょっと議論すれば、すぐ批判されたと勘違いして、プイと連絡不通になる輩ばかり、
いや、議論にすらならない輩ばかりです。

 そんな彼が浜の町病院に入院しました。
私が見舞いに行った時はまだ検査中で、病名もよく分かりませんでした。
ちょっと体調が悪いので人間ドック代わりの検査入院。
彼はそんな言い方をしていたから、うかつにも私はそれ程心配しなかったのです。

 その頃、私も仕事が忙しかったり、ちょっと他に頭を悩ませることがあったりで、その後見舞いに行くこともせず数カ月が経ちました。
すると快気祝いが届いたので、退院したんだ、よかった、じゃあそのうち飲みにでも誘うか、と思いつつまたまた忙しさにかまけてご無沙汰をしている間に突然、訃報が届きました。

 私が彼の病名を知ったのは通夜の席でした。
知人から肝臓癌だったと教えられました。
だから、私はずっと彼は肝臓癌だったと思っていました。
 ところが、妻のことで彼の奥さんがお参りに来られた時、実は膵臓癌で、最期は肝臓を含めあちこちに転移していたと知らされました。

 彼は私より7つ年上でした。
あまりにも早すぎる死でした。
奥さんも私もその時の彼の年齢をすでに超えました。

 彼の死後、追悼文集を出そうという話が持ち上がり、私も1文を寄せました。題は「”風”の便りを待っている」としました。
 専門は大気物理なのに、芭蕉の研究をし、文学にも造詣が深い人でした。
飲むとよく「天国の風、地獄の風はそれぞれどんな風なのかを研究するんだ」と言っていました。
なにかの文献に、「天国にも風が吹き、その風は甘い香りがする」と書いてあったそうです。

「それはぜひやって欲しい。それも文学的アプローチではなく、大気物理的アプローチで研究して欲しい。それができるのはあなたしかいないんだから」
 私もよくそう言って、その後研究は進んでいるのかと催促したものでした。
その約束を果たさないまま彼は天国に逝きました。

 気にはなっていました。
その後、彼を訪ねなかったことが。
またもや後悔です。
 以来、ご無沙汰している知人のことが気になったら、後回しにせず連絡するようにしています。
もう二度と後悔をしたくないから。
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by kurino30 | 2004-12-26 13:41
枯れた庭の木。
 クリスマスイブにサンタクロースの格好で妻を見舞いに来てくれたS君は、翌年の初盆の時にも母子でお参りに来てくれました。
その時もこの娘のひと言で心が慰められました。

しばらく話をした後に部屋を見回して彼女がこう言ったのです。
「きっと課長、私達の話を聞きながら笑っているよ。お盆には帰ってくると言うから。きっとその辺にいると思う」
そう言って周囲を見回すのです。
なんと優しい娘なんだろう。

「そうだね」
と答えるのが精一杯でした。
それ以上は声になりませんでした。

父の日にも母子でお参りに来てくれました。
「課長がいたらプレゼントをしていたと思うから」
と言って、靴下セットを私にプレゼントしてくれたのです。

 盆には死者が帰ってくると言います。
もし、そうなら、盆が終わってもそのままずっと居て欲しい。
そう思いながら私も部屋を見回しました。
そのままだと涙がこぼれそうになったからです。

 我が家は神道ですからお盆だからといって特別に何かすることはありません。
それでも初盆はお参りの人が来るかも分からないと思い、盆前に妻を連れて帰省しました。
旅立つ直前にも「江見に帰りたいな」と母に言っていました。
薄れゆく意識の中で私の実家に帰りたいと言うのです。
以後、私は帰省する時は必ず助手席に妻を乗せて帰るようにしています。

「葬儀が終わって帰って見たら、庭の榊が枯れていた」
母が庭の木を指さしてそう言いました。
神棚にお供えする榊を庭に植えていたのですが、その榊が妻の旅立ちと時を同じくして枯れたのです。

 妻と父が庭に植えた榊でした。
その父も6年前に亡くなり、いままた妻が旅立ちました。
植えてくれた人が居なくなったのを悲しんで、木も枯れたのか・・・。
原因は分かりません。
だが、他の木はどうもないのに榊だけが枯れていたのです。

 不思議なこともあるものです。
木に人と同じような心があるとは考えられません。
でも、あまりのタイミングのよさに、そんなこともあるのかもと思ってしまいました。
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by kurino30 | 2004-12-22 09:36
サンタの格好で来てくれた娘
クリスマスイブの時、こんなことがありました。
私が妻を病院に見舞って帰宅した9時頃だったと思います。
玄関のチャイムが鳴ったのでドアホンを取ると
「こちらは容子さんのお宅ですか」
と若い女性らしき人の声がしました。

 普通、家を訪ねて名前を呼ぶ人はあまりいません。まず名字です。
それが「容子さん」と言うので、私は不審に思い「どなたですか」とドアホン越しに尋ねると、また
「大丸にお勤めの容子さんのお宅ですか」
と言うのです。

 私は帰宅したばかりで背広を脱いで着替えようとしていたところだったので、多少イラつき「誰だ」と言ってドアを開けました。
するとドアの前にサンタクロースの格好をした人間が立っていたのです。
これには少々面食らいました。

「大丸にお勤めの容子さんはいらっしゃいませんか」
サンタクロースの格好をした女性は、また同じ言葉を繰り返しました。
「プレゼントを持ってきたのですけど」
「大丸から?」

 この時私はアメリカ映画などで見るプレゼントを思い浮かべました。
バイトの人間がサンタクロースの格好でプレゼントを届けにきたのかと思ったのです。
「容子さんの自宅はこちらだと聞いたんですが、いらっしゃいませんか」

 その娘は私がドアホン越しに怒鳴ったのに、全然怯えている様子もなく、それより多少がっかりした様子でそう言うのです。
もしかして・・・。
S君のことは時々妻から聞いていたので、もしかして彼女なのかとその時初めて思いました。

 この娘は身体障害者で耳が遠く、正面から話さないとほとんど聞こえません。
相手の唇を見ないと話していることが分からないのです。
ですから、電話の応対はほとんどできません。

 最近、企業は障害者を一定割合で雇用することが義務づけられているため、大企業や公共性の強い企業は皆障害者を雇用しているようです。
でも、そこには義務づけられていたり、助成金が出るから雇用している側面も見て取れます。

 この娘の入社当時から妻は可愛がっていました。可愛がっていたというより、彼女のことを理解するように周囲に働きかけていたという表現の方が適切でしょう。
「Sさんは耳が聞こえないのだから、なにか頼む時は彼女が分かるように前に行って話してやらないとダメよ」

 S君は人事課に配属されていたのですが、妻は人事課の他の人達によくそう言っていたようです。
でも、忙しい時には皆、自分でした方が早いので、彼女に仕事をさせずに自分でしてしまいます。それを妻はねばり強く彼女に仕事を教えていたようです。
そんなこともあり、彼女の方も妻を慕ってくれました。

「大丸から来たの」
私の口調も優しくなっていました。
「聞いてないのか? 入院しているから家にはいないんだよ」
「留守なんですか。課長がいると喜ぶと思ったんだけど」
「ごめんね。いたら喜ぶのにね」
「せっかく来たからこれから病院に行きます。どこの病院ですか」

 その日はホワイトクリスマスで雪が降っていましたし、時間も9時を回っていたので、彼女のサンタクロースの格好をデジカメで撮影し、
「S君が来てくれたことを言っておくからね。この写真を見せたら喜ぶと思うよ」
と伝え、帰ってもらいました。
わざわざサンタクロースの衣装を借りて、妻を元気付けに来てくれた、その娘の気持ちがとてもうれしかった。
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by kurino30 | 2004-12-19 15:57
副作用に悩む(3)
 妻が臭いに非常に過敏になったのは、どうもMSコンチン(モルヒネ)の軽い副作用のようでした。
 その後も臭い過敏症は続きましたが、5月に一時退院してからはそれに痒みが加わりました。
最初は腕、それが足、背中、腹、首とどんどん痒いところが移動していくのです。
痒い箇所が広がっていくのではなく、次々に移っていくという感じです。
終いには目まで痒いと掻き出しました。

 痒みは特に、夜寝ている時に酷くなるらしく、そのため睡眠不足とイライラが募り、夏場にかけてかなり苦しみました。
 この頃はMSコンチンの服用量もそれ程多くなかったのですが、とにかくこの痒みにはかなり参りました。
MSコンチンの量を少し減らしてみたりしましたが、ほとんど関係ありませんでした。

 その内、「パイロゲン」を薄めて痒いところにスプレーしてみればどうだろうと思いつきました。アトピー性皮膚炎や火傷などがこの方法で治ったと書いてあったからです。
 もしかしたら痒みにも効くかも知れない。効けば儲けもの、そんな気持ちで試したのですが、これが意外に効果がありました。

「痒いのが止まった」「夕べはぐっすり眠れた」。妻はそう言って喜びました。
 ただ効き目に持続性はなく、何度もスプレーしていると、ブドウ糖やリンゴ酢などが入っているため肌がベト付いてくるのが問題で、特に夏場はそれでなくとも汗で気持ち悪いこともあり、いつの間にか止めました。

 というか、いつの間にか痒みをそれ程感じなくなったのです。
身体が薬に慣れてきたのではないかと思います。
そして、その頃からMSコンチンの服用量が増えていきました。
痛みが増してきたのです。
 でも、最期までそれ程大きな副作用に悩まされることがなかったのは幸いでした。
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by kurino30 | 2004-12-17 06:42
副作用に悩む(2)
 病気は体力との勝負です。体力を付けるためにも食事は摂らなければなりません。
でも、おいしくない、欲しくないと思いながら食べるのと、おいしいと思って食べるのでは明らかに効果が違います。
そこで私は妻に、3時前後に電話をしてくれるように頼みました。

「今日はどんな感じ? お昼は食べられた?」
「だめ、午前中の様子では食べられるかなと思ったんだけど、出てきたものを見たら食べられんかった」
「じゃあ、なにか買っていこうか。何がいい」
「お寿司が食べたい。巻き寿司みたいなものの方がいい」

 こんな会話の後、夕食の時間に間に合うように、食べ物を買って届けていました。
妻には私が買ったものを、代わりに私が妻の病院食を食べていました。
「結構おいしいじゃないか。だけど、これはちょっと味が濃いね」
とか言いながら。

 ついこの間まで私達の夕(夜)食は8時半から9時頃でした。
6時頃に食べたのは結婚間もなくぐらいで、以後ずっと私の夕食は早くて8時、大体9時前後でした。
仕事の関係で2人とも帰宅時間が8時過ぎですから、どうしても食事時間は遅くなっていました。

 病院のベッドの上という環境を除けば、2人一緒に食べる食事は楽しくもありました。
妻は私が買った物を、私は妻の食事を食べるという関係も一役買っていたのかも分かりません。
 食事が終わった頃に看護婦さんが必ず食事のチェックに来ます。
「今日は3分の2ぐらいです」
「あらっ、でも、きれいになくなっているわよ」
「主人が食べたんです。私は主人に買ってきてもらったものを食べたから」
 そう言う時の妻は少しうれしそうでした。
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by kurino30 | 2004-12-16 09:57
副作用に悩む(1)
 病は時としてその人の隠れた姿を顕わにします。実は、妻は大らかなタイプだと思っていました。少なくとも神経質ではない、と。
 でも、最初の入院以来、妻は臭いに非常に過敏な反応を示すようになりました。
元々臭いには敏感な方でしたが、病院の臭いが鼻に突く、と訴えだしたのです。
 やがて、その臭いは着ている毛布やタオル、ショールにまで移っていきました。

 病院の臭いというと消毒臭を思い浮かべますが、妻の場合はどうもそうではなかったようです。それだけにこちらも「あまり気にしない方がいい」としか言いようがありません。
 その内、病院食がおいしくないと言い出しました。特に汁物や煮物を嫌いました。
 原因はやはり臭いです。それも中途半端な臭い、微かな臭いに敏感なようでした。

「味噌汁がぬるくておいしくない」
いままであまりいろんなことに不平を言う妻ではなかっただけに、食事への過剰とも思える反応には私の方が少々戸惑ってしまいました。

 たしかに病院の食事はおいしいといえるものではありません。
それでも昔に比べると随分改善されていて、温かい物とそうでない物は分けて運ばれるなど、できるだけおいしく食べられるように工夫されていました。
 正直、私などは配膳車の装置を見て感心した程です。それでも家で食べるように出来立てというわけにはいきません。
 結局、妻は冷えて(冷やして)臭いがしなくなった物だけを食べていました。
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by kurino30 | 2004-12-15 09:48
妻の想い出とともに
 少しずつ生活のリズムを取り戻さなければ、と思い、先月から休みの日は朝、散歩することにしました。
 自宅から車で5、6分の所に鴻巣山という樹木が生い茂るちょっとした山があり、そこに遊歩道が整備されています。
 以前からよく休日の朝、歩いていたのですが、1カ月程前から日曜日はできるだけ歩くようにしています。

 妻が病気になってからも時々森林浴を兼ねて2人で歩いたものです。
しかし、それも夏まででした。
それ以降は遊歩道を歩くのは私1人で、妻は遊歩道の入り口でベンチに腰掛け、木々が発する自然のエネルギーを呼吸しながら、私を待つようになりました。

 遊歩道の中に忘れ去られたような小さな祠があります。
そこで手を合わせ、妻の病気の回復を祈ったものでした。
 お盆初日の13日、久し振りにその祠の前で手を合わせました。
手を合わせはしたものの、祈願すべき言葉が出てきませんでした。

 以前なら、妻の病気の快復や家族安全を祈願していたのですが、今は家族といっても私1人になりました。
 手を合わせたまま、しばらくその場に佇んでいましたが、結局、何も祈願せずその場を後にしました。
無性に悲しさを感じた一瞬でした。
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by kurino30 | 2004-12-14 07:46
医療について考える(5)
 ここ数カ月、私は少し困っていた。
内視鏡検査をする必要性を感じているのだが、どこの病院に行けばいいのか決められなかったからだ。
以前検査してもらった病院に行くか、それとも新しいところに行くか、の選択ができなかった。
それぞれに一長一短があるからだ。

 従来の病院に行く長所はカルテ(データ)が残っているから、過去との比較ができるし、医師とのコミュニケーションが取りやすいという点だ。
病院を替えると過去データとの比較ができないが、初めての相手を診るため、医師の側に基本通りに診ようという意識も働くだろうし、方法(視点)が違ったりで、従来の病院では発見されなかった病気が発見される可能性もある。

 ただ、初めての病院は患者の側にデータがないから、医療技術の善し悪しを含め判断材料がないので不安がある。
私はどちらの選択をするか迷っていた。

 ところが、いよいよ体調不良で2日も寝込んだりしたため、どうしても病院に行く必要を感じていた。
そこで夜10時以降の飲食を控え、翌日の胃カメラ検査に備えた。
それでも当日の朝になってもなんとか行かなくてもいい理由を考えていた。
結局、選択したのはホームドクターのところでミニドックを受けることだった。

 女医さんだが(と言う言い方は少しおかしいが)、町の赤ひげ医師的で、医療の技術者と言うよりは病気の相談者的なところがあり、以前から高齢者が患者でよく来ていた。
 そこで検査を受けながら、その先生に胃カメラ検査について迷っていることを正直に話して相談してみた。

「最近は鎮静剤を打つところがほとんどです。その方が患者さんもゲーゲー苦しまなくていいし、ドクターも検査がしやすいから。意識がなくなっているわけではなく、その間にあなたも受け答えをしているはずです。覚えてないというだけで」

 私がホームドクターとしてその先生を信頼しているのは、常に患者にわかりやすい説明をしてくれることと、自分の医院でできないことは、別の病院を紹介してくれるし、その場ですぐ電話をし、紹介状を書いてくれるからだ。

 だから信頼しているというのは変な言い方だが、結局、医師と患者の信頼関係は情報開示とサービス、そして医療技術ではないかと思う。
最近流行りの言葉で言えばインフォームド・コンセント(十分に知らされたうえでの同意)である。

 私が胃カメラ検査を怖くなったのは、この情報開示(インフォームド・コンセント)がしっかりなされていなかったからだ。
説明不足で、しかも選択ができない中での診察・治療は怖い。
ホームドクターと話をしたお陰で私の不安はかなり和らぎ、やはり過去のカルテがある病院に行くか、という気持ちになり帰った。

 だが、その日の午後、知人から他の病院を紹介され、結局、新しい病院で検査を受けることにした。
そこは鎮静剤を打つ方法も打たない方法も選べると聞いたからだ。

 そして検査が始まった。
医師の説明を受けながら、モニターで自分の胃の内部を見ていく。
胃カメラが十二指腸の入り口までなかなか入りにくかったこともあり、時間もかかり、正直苦しかった。
でも、行われている診察をリアルタイムで見ている安心感はあった。
鎮静剤を打ってないため診察中ずっと緊張は続いたが。

 病院を替えるといろんな発見もあった。
「医師と患者の信頼関係は情報開示とサービス、そして医療技術」と先ほど書いたが、それらすべてのベースになるのはコミュニケーションである。
そして、このコミュニケーションを取りやすくするか否かは医師の態度が大きく影響しているということに気付いた。
事前説明をする時の態度、話すスピード、話し方によって、患者はその医師に信頼感を持ったり不安感を持ったりするのである。

 さらに追加すると、施設内空間の演出、デザインである。
そこまでいわなくても、例えば薄汚れた感じの診察台、カーテン、汚れた備品(モニターその他の機器)、埃がたまった待合室の棚などを見ると、とたんに不安感が増してくる。
どんなに技術はいいと言われても、いきなりそれを信ずる気持ちになれないのは当然だろう。

 いま多くの医療機関が経費削減、効率主義に走り、人を減らしている。
その結果、直接医療行為に関係ない部分には手が回らなくなり、掃除すら出来なくなっている。
だが、病院もサービス産業だという認識に医療関係者全員が立つべきではないだろうか。
そうする方が病院経営を立て直すことができるのではないかという気がした。

医療機関も、外部の人間を入れて改善委員会を作ってみてはどうだろう。
いっそNPOで医療機関経営改善委員会みたいなものを作ってみるか。
医療ミス・過誤、破廉恥行為など最近では「先生」はなんでもありになっている。
信頼される医療とは何かを考えるには外部の力を入れた方がいいし、そのためのお手伝いならしてみたいと思う。
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by kurino30 | 2004-12-13 01:31
医療について考える(4)
 病院が好き、という人は少ないだろうが、私はいままでそれほど病院が嫌いというわけではなかったし、診察、検査を必要以上に嫌がったり、怖がったこともなかった。
 ところが、この1、2年、どうも病院(医療法では患者20人以上を収容するものを病院というが、ここでは医療機関全般を指して使っている)が好きになれない。いや、はっきり言うと病院が怖くなっている。だから、検査に行くのが非常に億劫で、なんとか行かなくても済む理由を考え、病院に行くのを1日延ばしにしてきた。

 なぜ、それほど病院が怖いのか。
といっても、小さな子供ではないから病院という建物に恐れをなしているわけではない。中で行われる医療行為に怖さを感じだしたということだ。
 事の発端は胃の内視鏡検査である。内視鏡検査そのものはそれ以前にも胃・大腸で行っているから初めてではなかった。
以前と同じ病院だし、内視鏡検査はうまいという評判のところだったので、その時までは何の不安も感じていなかった。

 ところが、診察台に横になった後の記憶が欠落し、次に覚えているのは別のベッドで目覚めたことだった。検査中のことが全く思い出せないのだ。
後で分かったのだが、鎮静剤を使用し、それで眠らされたようだ。眠らされている間に胃カメラの検査は終わり、後ほど医師から録画モニターを見ながら説明を受けたが、どうもすっきりしなかった。

 当初、私は麻酔を使われたのかと思い医師に抗議したが、麻酔ではなく鎮静剤ということだった。そういえば前回の大腸検査の時は治療中に検査医師が「鎮静剤が効いてない。もう1本打って」と言っていたのを思い出した。
この時は胃と大腸を続けて内視鏡検査をしたのと、大腸検査は初めてだったので、そんなものだと思っていた。

 その後、帰省中に母と内視鏡検査の話になった時、「私は先生と一緒にモニターを見ながら検査した」と母が言うのを聞いて疑問を持った。私の時とは違ったからだ。しかも母の検査の方が後である。
病院が違えばやり方は違う。そう感じた。

 どちらが安心だろうか。
人によるだろうが、私はリアルタイムでモニターを見ながら治療を行ってもらう方が安心である。
少なくとも医師の声は聞いておきたい。

後で結果だけ教えられても、治療中に何が行われたのかが分からない。
はっきり言うと、治療中に医療過誤があっても分からないわけだ。
以来、病院が怖くなった。
内視鏡検査に言い知れぬ恐怖を感じるようになったのだ。
不思議なもので、一度でも恐怖を感じると、足がすくんでもう前へ進めなくなる。小学生の時、跳び箱で失敗してから、以後何度やっても踏切板の前で止まってしまったことがあったが、あれに似ている。

 それから折に触れ、内視鏡検査をしたという人に尋ねてみた。
ある人は鎮静剤で眠っている間に終わってよかったと言い、ある人は事前に医師から2つの方法があるが、どちらでも好きな方を選択するように言われたと言い、ある人は「最近は鎮静剤を使うところが増えているが、私は患者さんと会話をしながらやるようにしているので鎮静剤は使わない。鎮静剤を使って眠っている間にやると楽だが、非常にまれだがミスがないとも限らない。その場合、患者さんに意識がないと状態が分からないからです」と説明を受けたと言う。
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by kurino30 | 2004-12-11 22:55