病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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一切否定しない、指示しない。
 弟からガンの連絡があり、弟嫁からさらに詳しい症状の連絡があってから、私が自分自身に決めたことがある。
弟が言うことをすべて受け入れて、否定するようなことを言わない。
ああしろ、こうしろと治療等について指示しない。
そして心がけたのが、聞かれると答えるが、その場合も選択肢を提示するだけで、こちらからこれがいいと無理に勧めないことだった。

 なんといってもこちらは経験者。
妻がガンで亡くなったというだけでなく、弟と同じすい臓ガンで亡くなり、1年間看病したのだからガンに対する知識はある。
それだけに色々言いたくはなるが、そうした態度を一切慎み、聞き役に徹することにした。
弟のガンのステージについても聞いて知っていたが、弟が「俺の場合は早期発見だったからよかった」と言うので、「本当によかったよ」としか言わなかった。
手術後の抗ガン剤治療が苦しくて「やめようと思っている」と言ってきた時は「主治医はどう言っているのか。先生と相談してみらどうだ」と返事し、いま使っている抗ガン剤の名前を聞いただけだ。
 数日後、抗ガン剤の副作用で肝機能が著しく低下したので、医師からも抗ガン剤はやめましょう、と言われた、と連絡が入る。

 抗ガン剤をやめたというので、AHCCを買って弟に送る。
アガリクスなどと違い、工場生産なので品質が一定していること、使用している病院もあり、ある程度の効果も確かめられていたからだ。
 一応内容は説明したが、ネットでAHCCを調べてみるといい、と伝えておいた。
「どんな治療法、どんな薬でも自分で納得してすることが大事だ。納得しない治療法を受けると効くものも効かなくなることもあるから」

 AHCCのことはすい臓ガンと分かった時に、情報として教えておいたが、その時はそれを飲むようにとも、買うようにとも言ってない。
とにかく選択肢は教えておかなければといけないと思ったが、こちらから指示するのはよそうと決めていたからだ。
 どんなに平静を装っていても、本人は不安で一杯に違いない。
その不安を和らげるのは話を聞いてやることと、本人が選択したことが正しいと肯定することだけだと思っていた。
 このことは妻が亡くなった後に、気付いた。
もっと早く気付いて、そのように接していれば、妻の心はどんなに軽くなっただろうかと未だに反省している。
だから弟の時は同じ轍を踏まない、と決めている。
そして、この態度はいまも貫いている。

 手術から3か月後の夫婦海外旅行だけは「できれば止めた方がいいだろう」と言ったが、年末の沖縄離島旅行計画を告げられた時も「国内だし、手術から5か月たっているから、まあいいんじゃないか」と同意した。
 あれはだめ、これはだめと言うと、そのことがストレスになり体にダメージを与える。
それよりはしたいことをさせてやる方がよほどいいかもしれない、と考えたからでもある。
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by kurino30 | 2013-08-24 18:24
顔を見て弟が涙を流す。
 手術から1週間後、神戸の済生会病院に弟を見舞う。
福岡から岡山県東部の実家まで一度帰り、翌日中国自動車道を走っている縦貫バスに乗って西宮まで行き、バス停まで迎えに来てくれた弟嫁の車に同乗し済生会病院に。

 問題は朝家を出る時、お袋にどう説明するかだったが、前日、「明日は大阪の友達に会いに行く約束があるから」と説明をしておいた。
 ただ認知症が少し出ているので、翌日、出かけると言うと、どこに行くのか、いつ帰って来るのか、神戸の弟とは会わないのかなどと聞いてくるだろう。
 弟に会いに行くと言えば、自分も連れて行ってくれと言うだろうから、弟の病気、手術のこともお袋には一切隠していた。
 だが、大阪に行くと伝えた時から、なんとなく弟と会うのではないか、と勘付いている風だが、「大阪の友達と会う」で押し通した。

 術後1週間目に見舞いに行ったのは、順調にいっていればこの頃は喋れるだろうと思ったからだ。
病室に見舞うと弟は元気だった。
開腹傷跡を見せてやろうかと、腹巻きを外して見せてくれたりしたが、俺の顔を見た瞬間、タオルを顔に被せしばらく黙っていた。
「私ら家族の前では涙を見せたことがないのに。この人が泣いたのは今日が初めてですよ。やはりお兄さんを信頼しているんやわ」と弟嫁が言う。

 手術のせいで腹に力が入らないからだろう、声に力がなく少しかすれている。お袋のことを随分心配して色々尋ねるが、その時の喋り方と声が亡くなったオヤジにそっくりだったのでビックリ。
そのことを弟に告げると「オヤジに似ているのは俺じゃなく、兄貴の方だよ」と言い、また涙ぐむ。
家族の前では気丈に振る舞っていたようだが、やはり心細かったのだろう。
泣きたい時には我慢せず思い切り泣けばいい。
そう言ってやりたかったが、嫁の前では心をさらけ出せないのかもと思い、言葉を飲み込んだ。

 昼食がまだだったので、その後、病院の食堂(レストランと言うより食堂という表現の方が近い感じ)で食事をしながら弟嫁に今後の心構えを話し、いつでも力になるから愚痴でもなんでも私に話すようにと伝える。
退院後から家族の長い闘いが始まるのだから。
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by kurino30 | 2013-08-21 00:10