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「九州の技術」や「九州の頑張る企業」「栗野的視点」などを収録 ジャーナリスト栗野の辛口コラム~栗野的視点 ジャーナリスト、経営コンサルタント、コーディネーターとして活動しながら、中小企業の経営に関する講演も数多くこなす栗野が独自の視点で経済や経営、社会問題を論評 栗野的風景 写真と文で綴るフォトエッセイ。主に花の写真が多い。 最新のトラックバック
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2004年 11月 25日
妻の旅立ちに際しては実に多くの人達にお見送りを頂き感謝しています。
また手紙やメールを何人の方からも頂きました。 それで分かったことがいくつかありました。 一つはガンと共存されている方が意外に多かったことです。 もう一つは私の知らない妻の姿が見られたことです。 通夜、告別式を通して400人の方がお別れに来てくださいました。 この人数の多さにまずビックリしました。 大半が妻と関係がある人達で、しかも、若い人達があんなにも涙してくれるのを見た時、本当に多くの人達に慕われていたのだなと我が妻ながら改めて感心しました。 妻は博多大丸に22年在籍しました。 最初は販売を、そして最後の10年は人財開発部で課長として教育を担当していました。 その「教え子」達がお別れに来てくれたのでした。 私達には子供がいません。 だからというわけではありませんが、夫婦の会話は比較的多い方だと思っていました。 でも、いざ妻が居なくなり、芳名帳のお名前を拝見したり、寄せられた手紙を読んでみて、いかに私が妻のことを知らなかったのかを思い知らされました。 妻が異常を訴えたのは2001年の正月でした。 背中の辺りが痛いと言い、正月3が日はまさに寝正月です。 でも、その時は疲れからくる腰痛ぐらいにしか考えていませんでした。 元々我慢強いタイプでしたが、余程痛かったのでしょう、正月が明けるとすぐ病院に行き検査をしてもらいました。 大きな病院でしたが、検査で異常は発見されませんでした。 それでも、本人がおかしいと思い、別の所で再検査をしてもらった結果、膵臓に腫瘍が見つかりました。 そして福大病院に入院したのが3月。 再び数週間かけて再検査です。 ドクターから告げられた言葉は「末期ガン」。 「手術は非常に難しいので勧められない」ということでした。 「私達が言う”末期”と世間一般によく言われる”末期”とは違います。末期だと言うとすぐホスピスに走ったりする人がいますが、そういうことはしないで下さい」 「治療は放射線を主体に行います。抗ガン剤も併用したいので、使用を認めて欲しい」 「認めて欲しい」とドクターが言ったのは、抗ガン剤は副作用が激しいから嫌がる人が多いためでしょう。 抗ガン剤と聞いて、私が考えたのは夜間投与でした。 抗ガン剤の夜間投与で効果を上げている例をTVで見たことがあったからです。 それと同時に看護婦の勤務態勢の問題があり、24時間治療を実施できる病院が極限られていることも知識としてありました。 「ちょっと生活は規制されますが、24時間点滴を行います」 そう言われた時、このドクターは抗ガン剤の夜間投与のことを知っているなと思いました。大学病院では勤務態勢上、それができないので、24時間点滴をするのだろう、と。 それで私は抗ガン剤治療に了承しました。 でも、最後にどうしても知っておかなければならないことがありました。 それは余命の問題です。 「余命はどれくらいですか」 私は漠然と、あと2年もすればガン治療は飛躍的に進むと考えていましたから、余命2年なら助かる確率があると思ったのです。 「10カ月から持って1年です。近くに血管があるのでそこに浸潤すればもっと速くなるでしょう」 職業柄ということは分かります。 でも、この時ほど医師の無情を恨んだことはありません。 上を向いて必死に耐えました。 下を向くと涙がこぼれ落ちるから。 もう何も言えなかった。 言葉を発すると嗚咽が出そうだから。 ひたすら奥歯を噛み締めて耐えました。 #
by kurino30
| 2004-11-25 10:00
2004年 11月 24日
先週から病室が私の自宅であり、事務所に変わりました。
以後、ほぼ24時間この部屋で過ごしています。 ベッドでは妻が徐々に旅立ちの準備をしています。 病名が膵臓ガンと分かったのは1年前の4月です。 最初に入院したのは福大病院。そして昨年12月にはガンセンターへ移りました。 そして先週から栄光病院に入院しました。 昨年12月になって初めて妻に病名をはっきり知らせました。 それは残りの時間が短くなったからです。 最期をどのように過ごすかは私達にとって重要な問題でした。 結局、妻と私は、最後に入院する病院をホスピスと決めました。 できるだけ痛みが緩和され、人間的に扱われ、家族と時間を共有できること。 それが条件だったからです。 最初の入院以来、多くの人が私を励ましてくれました。 ガンに効くAHCCというきのこ系健康食品を非常に安く提供してくれ、週に一度電話で励ましてくれた友人、またアガリスクを何度もくれたトーマツベンチャーサポートの新原さん(現、新原公認会計士事務所)、心配してEM飲料を何度もいただいた海・話の長沼さん、ありがとう。 会うたびに励ましてくれた加藤特許事務所の加藤さん、ありがとう。 そしてメールで励ましてくれた学生時代の友人達ありがとう。 最初から励まし、リエゾンの新年会、4月例会を快く引き受けてくれた岳将の岳さん、ありがとう。 いよいよ時間が少なくなったみたいです。 いま、私はただ1人の人だけを見詰め続け、すべての時間を彼女のために費やしています。 多くの方が見舞いに訪れてくれましたが、それも昨日からお断りしています。 そして静かで、穏やかな、不思議な安らぎの時間を過ごしています。 病室にて 2002/04/12 #
by kurino30
| 2004-11-24 15:12
2004年 11月 24日
悲しい言葉が 一杯詰まった 詩集を
1冊持って 夜汽車に乗れば 涙が 溢れてくるでしょうか たった一人で 乗った 自分が 悲しくて 泣くのでしょうか それとも 置いてきた女が 哀れで 泣けるのでしょうか バケツ1杯ほども 泣けば 悲しい過去に さよならが できるでしょうか 汽笛も 悲しく 泣いてくれるでしょうか どこに行けば 見つかりますか 思いっ切り 泣ける場所は どこに行けば 見つかりますか 溢れる涙を 拭う場所が タライ一杯ほども 泣いた時 明るい明日が 来るのでしょうか #
by kurino30
| 2004-11-24 10:51
2004年 11月 13日
「栗野的雑感」は「goo」に移転しました。
今後はgooの「栗野的雑感」 をご覧下さい。 今後は新たに「栗野的通信」に衣替えして更新します。 癌で1人旅立った妻への挽歌、妻に許しを請う日々です。 願わくば誰もがこのような思いをせずに済む日が来ることを願っています。 #
by kurino30
| 2004-11-13 12:08
2004年 10月 08日
「栗野的視点」(livedoor版)2004年8月
http://blog.livedoor.jp/kurino30 あるいは「栗野的視点」(goo版)2004年9月 http://blog.goo.ne.jp/kurino30 に移動しましたので、そちらをお読み下さい。 #
by kurino30
| 2004-10-08 13:50
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