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病気と医療について考える~栗野的通信
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ガンで旅だった妻への挽歌と、病気と医療についての考察。
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電話中に弟の脳血栓に気付く
 弟が膵臓ガンの手術をしたのが2012年7月31日。
その1週間後、神戸の病院に見舞いに行く。
さらに約1週間後の8月11日(土)、弟と電話で話している時になにか声の様子がおかしいことに気付いた。
もしかすると電話口で泣いているのかも、そう思った。
というのは弟が声を詰まらせていたからだ。

 「元気がないけど調子悪いのか。検査結果で異常が見つかったのか」
術後の状態が気になっていた。
手術は一応うまく行ったように見えていたが、もしかするとほかの場所にもガンが見つかったのか、それともなにか異常があったのだろうかと思い、尋ねた。
「元気を・・・」
「元気を・・・」
 弟は同じ言葉をまるで壊れたレコードのように繰り返すばかりだった。
「元気を・・・」だけでは、その後に「出そうと思っている」のか、「出したくても苦しくて元気が出ない」と続くのか分からない。
もしかして、泣いているのかも。
そう思ったから「泣いているのか? それとも頭では言葉が浮かんでいるのに口で言葉が出ないのか」と尋ねた。
「・・・。言葉が出ない。また後で電話する」
そう言って電話が切れた。

 脳血栓ではないか。
そう感じたので、すぐ弟嫁に連絡し、病院に行き医師に連絡するようにと告げた。
いつもは電話にも出ない弟嫁だったので、すぐ行動してくれるかどうかが心配だったが、この時の動きは素早かった。
30分後には病院に行き弟の状態確認。
ところが、その頃には正常に話ができる状態に戻っていたため、弟も看護師も「いや、大丈夫ですよ。変わったところはないし」という感じだったらしい。

 ここで、「ああ、よかった。なんでもなかったのね」とホッとし、そのままにしなかったことが幸いだった。
「義兄さんが脳血栓だと言って怒っているんです。すぐ先生に診てもらって下さい」
 何も異常はない、と言う看護師にきつく迫ると、その剣幕に驚いた看護師がともかく医師に連絡。
脳血栓ではないかと家族が言っていると聞いた医師は慌て、バタバタと動き、すぐ点滴。
3日間絶対安静を告げた。
 脳血栓の場合、普通は血栓を溶かす薬を処方するが、まだ術後で抜糸もできてない状態。
血止めの方が必要で血栓を溶かす薬はまだ使えない。
そこで取り敢えず絶対安静を指示されたのだ。

 後日、弟嫁からの連絡によると、やはり脳梗塞を起こしていたらしい。
弟は「医師からラクナ梗塞と言われた」と、あまり気にしていなかった風だが、もし対応が遅れていればガンの手術はうまく行っていても、脳梗塞で半身不随、軽くても言語障害が残ったかもしれない。
 もし、電話中に言葉に詰まるという症状が現れなかったら、
もし、その時の電話の相手が私でなかったら、
もし、私に脳梗塞に関する知識がなかったら、
もし、私がすぐ弟嫁に連絡しなかったら、
もし、弟嫁がすぐ病院に駆け付けなかったら、
病院に駆け付けても、弟の状態を見て普通なのに安心し、医師に訴えなかったら、どうなっていただろうか。
 このどれか1つでも欠けていたら、間違いなく弟は後遺症に苦しむことになっただろう。

 脳梗塞は時間との闘いだと言われている。
発症から4時間以内なら後遺症もなく助かる確率が非常に高い。
逆に最初の発症から4時間経った後に病院に行っても後遺症は残ると言われている。
「4時間以内」が目安なのだ。

 「4時間以内」というのは<最初の発症から>で、ほとんどの場合、最初の兆候を見逃すから、結果、手遅れになるのだ。
弟の場合でも言葉が詰まったのは一瞬である。10分後には普通に戻っているから、「あれは一体なんだったんだろう」と脳梗塞の初期症状(脳血栓)と気付かないことが多い。
 とにかく以下の様な症状を見逃さないこと。
症状に気づいたら、即、救急車を呼ぶことが大事らしい。
 ・ろれつがまわらなくなる
 ・言葉が出なくなる
 ・握ったもの(コップなど)が手から落ちる
 ・相手の言うことがよく理解できない
 ・片側の視野が欠けるため物や人にぶつかってしまう
 ・片方の目が見えにくくなる
 ・物が二重に見える
 ・めまいがする、ふらつく
 ・力はあるのに立てない、歩けない

 ところで、ラクナ梗塞というのは脳内の細い動脈に直径1.5cm以下の梗塞ができることで、脳梗塞の半数近くを占めている。
だが、「ラクナ梗塞でした」などと専門用語で言われると、脳梗塞にも入らない「楽な」梗塞と思いがちだが、それは大間違い。
「ラクナ」は英語表記で「Lacunar」。フランス語の「湖」を意味する語から来ている。脳の深い所に生じた小さな湖という意味だ。
 専門家は専門用語を気軽に使い、そのことで大した症状ではないという風に思わせる傾向がある。
だが、こうした専門用語に騙されてはいけない。
 医師が症状を軽く表現する場合、2つの意味がある。
1つは患者が受ける精神的ダメージを小さくし、希望を持たせようとする場合。
もう1つは彼らにとって技術的に難しい病気ではない場合だ。
しかし、ミスは簡単な所、初歩的な所でいつも起きる。

 例えば盲腸の手術なんて外科医にとっては「目を瞑っていても出来る簡単な手術」だ。
だが、簡単な手術だからこそ慣れが油断を生み、体内にガーゼを残したり、鉗子を忘れたまま縫合するという信じられないミスを起こしたり、他の血管を傷付け、そのことに気付かないまま縫合し重篤な後遺症が残ったり、最悪の場合死亡するなどということも起こっている。
# by kurino30 | 2014-03-29 23:21
一切否定しない、指示しない。
 弟からガンの連絡があり、弟嫁からさらに詳しい症状の連絡があってから、私が自分自身に決めたことがある。
弟が言うことをすべて受け入れて、否定するようなことを言わない。
ああしろ、こうしろと治療等について指示しない。
そして心がけたのが、聞かれると答えるが、その場合も選択肢を提示するだけで、こちらからこれがいいと無理に勧めないことだった。

 なんといってもこちらは経験者。
妻がガンで亡くなったというだけでなく、弟と同じすい臓ガンで亡くなり、1年間看病したのだからガンに対する知識はある。
それだけに色々言いたくはなるが、そうした態度を一切慎み、聞き役に徹することにした。
弟のガンのステージについても聞いて知っていたが、弟が「俺の場合は早期発見だったからよかった」と言うので、「本当によかったよ」としか言わなかった。
手術後の抗ガン剤治療が苦しくて「やめようと思っている」と言ってきた時は「主治医はどう言っているのか。先生と相談してみらどうだ」と返事し、いま使っている抗ガン剤の名前を聞いただけだ。
 数日後、抗ガン剤の副作用で肝機能が著しく低下したので、医師からも抗ガン剤はやめましょう、と言われた、と連絡が入る。

 抗ガン剤をやめたというので、AHCCを買って弟に送る。
アガリクスなどと違い、工場生産なので品質が一定していること、使用している病院もあり、ある程度の効果も確かめられていたからだ。
 一応内容は説明したが、ネットでAHCCを調べてみるといい、と伝えておいた。
「どんな治療法、どんな薬でも自分で納得してすることが大事だ。納得しない治療法を受けると効くものも効かなくなることもあるから」

 AHCCのことはすい臓ガンと分かった時に、情報として教えておいたが、その時はそれを飲むようにとも、買うようにとも言ってない。
とにかく選択肢は教えておかなければといけないと思ったが、こちらから指示するのはよそうと決めていたからだ。
 どんなに平静を装っていても、本人は不安で一杯に違いない。
その不安を和らげるのは話を聞いてやることと、本人が選択したことが正しいと肯定することだけだと思っていた。
 このことは妻が亡くなった後に、気付いた。
もっと早く気付いて、そのように接していれば、妻の心はどんなに軽くなっただろうかと未だに反省している。
だから弟の時は同じ轍を踏まない、と決めている。
そして、この態度はいまも貫いている。

 手術から3か月後の夫婦海外旅行だけは「できれば止めた方がいいだろう」と言ったが、年末の沖縄離島旅行計画を告げられた時も「国内だし、手術から5か月たっているから、まあいいんじゃないか」と同意した。
 あれはだめ、これはだめと言うと、そのことがストレスになり体にダメージを与える。
それよりはしたいことをさせてやる方がよほどいいかもしれない、と考えたからでもある。
# by kurino30 | 2013-08-24 18:24
顔を見て弟が涙を流す。
 手術から1週間後、神戸の済生会病院に弟を見舞う。
福岡から岡山県東部の実家まで一度帰り、翌日中国自動車道を走っている縦貫バスに乗って西宮まで行き、バス停まで迎えに来てくれた弟嫁の車に同乗し済生会病院に。

 問題は朝家を出る時、お袋にどう説明するかだったが、前日、「明日は大阪の友達に会いに行く約束があるから」と説明をしておいた。
 ただ認知症が少し出ているので、翌日、出かけると言うと、どこに行くのか、いつ帰って来るのか、神戸の弟とは会わないのかなどと聞いてくるだろう。
 弟に会いに行くと言えば、自分も連れて行ってくれと言うだろうから、弟の病気、手術のこともお袋には一切隠していた。
 だが、大阪に行くと伝えた時から、なんとなく弟と会うのではないか、と勘付いている風だが、「大阪の友達と会う」で押し通した。

 術後1週間目に見舞いに行ったのは、順調にいっていればこの頃は喋れるだろうと思ったからだ。
病室に見舞うと弟は元気だった。
開腹傷跡を見せてやろうかと、腹巻きを外して見せてくれたりしたが、俺の顔を見た瞬間、タオルを顔に被せしばらく黙っていた。
「私ら家族の前では涙を見せたことがないのに。この人が泣いたのは今日が初めてですよ。やはりお兄さんを信頼しているんやわ」と弟嫁が言う。

 手術のせいで腹に力が入らないからだろう、声に力がなく少しかすれている。お袋のことを随分心配して色々尋ねるが、その時の喋り方と声が亡くなったオヤジにそっくりだったのでビックリ。
そのことを弟に告げると「オヤジに似ているのは俺じゃなく、兄貴の方だよ」と言い、また涙ぐむ。
家族の前では気丈に振る舞っていたようだが、やはり心細かったのだろう。
泣きたい時には我慢せず思い切り泣けばいい。
そう言ってやりたかったが、嫁の前では心をさらけ出せないのかもと思い、言葉を飲み込んだ。

 昼食がまだだったので、その後、病院の食堂(レストランと言うより食堂という表現の方が近い感じ)で食事をしながら弟嫁に今後の心構えを話し、いつでも力になるから愚痴でもなんでも私に話すようにと伝える。
退院後から家族の長い闘いが始まるのだから。
# by kurino30 | 2013-08-21 00:10
弟も膵臓癌に罹る。
 妻が膵臓癌で他界してから丸10年が経過した昨年7月、弟が膵臓癌に罹ったことが分かった。
妻と弟は血のつながりがない。
それなのになぜ、それも同じ膵臓癌に、と愕然とした。
しかも、同じようにステージ4。
違ったのは弟の場合は手術が可能ということだった。

 発端は胃が痛むと訴えたことだった。
食事をすれば収まるが、腹が空くと胃が張ったような感じがして痛くてたまらないと言っていた。
1、2カ月たっても相変わらず胃の不調を訴えるから、病院に行くことを勧め、胃カメラを検査をしたことがあるかと尋ねると、一度もないと言う。
それならまず胃カメラ検査をするようにと伝える。

 検査結果は異常なし。
それでやれやれと思っていたが、それから1カ月近くたっても相変わらず胃が痛むと言うので、考えられるのは2つしかないと伝える。
1.医師は予測検診しかできないから、見落とすこともある。
 重要なのは自覚症状があることで、再度医師に訴えて他の箇所も調べてもらった方がいい。
2.ストレス性から来ている。

 いずれにしろ再検査するようにと進言したところ、すぐ病院に行きMRI検査を実施することになった。
ところが、検査をすると決まった段階で医師が「手術をするかどうかはその後で決めましょう」と言ったらしい。
それを聞いて、MRIの検査結果が出る前に、既に医師は恐らく手術が必要になるかも、と分かっているのだと思った。
 結果はその通りで、検査から1週間後の7月30日に手術とバタバタと決まった。

 弟嫁から電話で、膵臓癌と知らされる。
# by kurino30 | 2013-05-31 11:41
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時々喧嘩し、相手を苦しめる。
# by kurino30 | 2010-08-11 11:32